【絵本紹介】あのねあのね
アメリカに持ち込んだ日本語の本や、
出会った現地本で感銘を受けたものを紹介します。
スーツ姿で颯爽とこどもをお迎えにいくおかあさんが気に入って、衝動買いした本です。小さなこどもが毎日の出来事を両親にはなすような口調でつづられており、なにやら親近感があるためか、息子が大層気に入って毎日「読んで」とせがまれます。
この本を読み始めてから「自分に起きたことを、人に話す」という行為を覚えて、毎日絵本を真似て「ねえねえ母ちゃん、あのね」としゃべり始めました。自分のことを誰かに説明する、というのは言葉の練習にも親子のコミュニケーションにもとても良いことだなと感じています。
お母さんだけでなく、お父さんもお迎えにいくところも気に入っています。
ご参考までに。
【今週のお題】職業「家内」になりました
10年。
今から10年後というと、2歳の息子はもう12歳になっているころ。かあちゃんかあちゃんと抱っこをせがんでくる息子に「くそばばあ」と罵られている頃だろうか。残念なような、楽しみなような、不思議なきもちになる。10年前の私には、今の自分は想像できなかったから。
仕事を辞めて、家族でアメリカに居を移してもうすぐ3か月。私の毎日のおしごとは、家族が毎日快適に過ごせるように家の中を整えることである。
まさに「家内」。
社会復帰の目途が立っていない日々というのは、なんとも穏やかで、連綿と毎日が過ぎてゆく。まあわんぱく盛りの息子は家の中でちっともじっとしていないので、実際に家の中にいる時間というのはあまりないけれども。
10年前に新卒で入社した会社に入ってからというもの、会社という組織を通して、どのくらい社会貢献できるているのかを考え続ける日々だった。会社というひとつの居場所で成果を出すこと、役に立つことが、自分の価値を決めることだと思い込んでいた。10年だ。よちよち歩きの赤ちゃんが、思春期に差し掛かるほどの時間。この長い10年間、私の職業は「会社員」だった。私は仕事が(概ね)ずっと好きだったし、特別な趣味特技のない自分をかたち作る大切な一要素だった。仕事をしていない自分を想像すること、キャリアを断絶させることは、恐怖でしかなかった。
だから、考えに考えて、家族と過ごすことを優先して仕事を辞めた当初、自分の価値ってなんだろうと空虚なきもちでいっぱいになったのだ。3か月たった今でも、もう職業「会社員」でない自分であることに驚き、「家内」であることに戸惑う。
毎日、何をしてもしなくても、だれにも迷惑をかけない生活。家族以外の誰も、私を待っていない生活。
人生の夏休みのようなこの日々が始まって3か月、10年で築き上げてきた価値観はなかなか変わらないもので、ふと空いた時間に空虚な思いになる。10年後、この選択を後悔する日は絶対に来ない、とは今はまだ言い切れない。
けれどこれからの10年で「あのときの選択は正しかった」と言えるように、毎日を過ごしていきたいなと思う。職業「家内」を全うしながら。
はてなブログ10周年特別お題「10年で変わったこと・変わらなかったこと」
【アメリカ生活】長い長いハロウィーン
ようやく終わった。
もうすっかり冷たくなった空気の中、日の暮れかけた住宅街はまだ賑やかだけれども、私は疲労感と充足感でいっぱいである。
いやはや、ようやく終わった、長い長いハロウィーンが。
クリスマスと違って、まだ日本でも一部の陽気な人々にしか祝われない(ですよね?)このイベント。まさにアメリカ!という感じで、移住早々からうきうきしていたのだ。
ところが、私は甘かった。10月中旬に親切なアメリカ人ママたちに「(10月31日にという意味で)ハロウィーンなにする?」と聞くと、やれやれというように首を振られた。
「なにを悠長なことを言ってるの?ハロウィーンはもう始まっているのよ?」
まだハロウィーンまで2週間もあるけど、そろそろコスチュームを決めようかな・・などとのんびり考えていた私。その衝撃たるや。
聞くところによると、ハロウィーンは10月31日当日に行うだけではないのだそう。(考えてみれば日本でもそうかもしれませんね)31日の夜に近所を練り歩くのは勿論のこと、それ以外にも子供向けハロウィーンイベントに積極的に参加するのがマストとのこと。
驚いたのはその数。イベントは10月中旬から始まり、場所もさまざま。プリスクール、教会、スポーツジム、動物園、水族館、はたまた友達の家でハロウィーンパーティと称して行われるイベントたち・・。ご丁寧に日付もすべて別々。小さな町なので、日程がかぶらないように調整されているのだと思う。
私は奮起した。遅れをとった分、以降のイベントはコンプリートする勢いで回らねばなるまい。10月の後半は、ほぼ毎日なんらかのイベントやらパーティやらに顔を出していた。毎日がハッピーハロウィーン!
31日を迎えるころには、もう食傷気味というか、気持ちはすっかり「No more events, No more Halloween(イベントもハロウィンももうたくさん!)」である。
後日談。
私を焚きつけたアメリカ人ママさんたちは、私に言ったことはすっかり忘れて、各々せいぜい一つか二つのイベントに参加するくらいだったそうだ。あなたはとってもハロウィーンがすきなのね!といい笑顔で言われた。
アメリカ人もびっくりなくらいハロウィーンを満喫した私たち。ハロウィンはもうお腹いっぱいである。イベント疲れでこの記事をあげるのにも1週間かかってしまったほど。
でもきっと来年も空気が冷たくなった頃には、そんなことさっぱり忘れていそいそとかぼちゃのコスチュームを用意してしまうのだと思う。ハロウィーンはもう始まっているのよ!としたり顔で。
【絵本紹介】くまさんくまさん なにみてるの?(Brown Bear,Brown Bear,What Do You See?)
アメリカに持ち込んだ日本語の本や
アメリカで出会った現地本の紹介です。
渡米前、アメリカで絵本といえば「はらぺこあおむし」だろうと思っていましたが、私が住んでいる地域(アメリカ中西部の田舎)の読み聞かせやタイムや幼児教室、プリスクールで最もよく登場するのはこの本です。2か月ほどの滞在で、すでに4回は目にしました。
私は英語版を購入しましたが、日本語訳も発売されています。原文で購入しても、同じ文章の繰り返し(「〇〇(動物の名前)、What do you see?」や「I see a ○○(動物の名前)」ばかりなので、英語が苦手な方も抵抗は少ないと思います。
おなじみエリックカールのビビットな色合いのイラストに、読み聞かせるのにリズムのとりやすい文章で、たのしく動物の名前と色を学ぶことができます。(これで色と動物を覚えてくれたので、しめしめと思っています)2歳の息子のお気に入りです。
ご参考までに。
【今週のお題】読書、辞書、読書
自宅の近くに市の図書館があって、週に一回、こども向けの読み聞かせタイム(こちらではLeading Timeと言うらしい)がある。日本にいたころにも数回参加したことがあったが、アメリカに来てからはたっぷりと暇な時間があるので、毎週参加している。はじめは「英語の良く分からないアジア人」といった感じで距離をとられていたのだが、毎週通い詰めたおかげで(そしてオーバーリアクションで読み聞かせを楽しんだおかげで)「英語は良く分からないが、まあノリは悪くない日本人」といった感じで、いまはすっかり司書さんとも仲良しである。
しかし、このLeadingTime。息子もすっかり楽しみにして、毎週の大事なイベントなのだが、ほんわかした雰囲気と裏腹に、私は毎回戦闘モードである。
というのも2歳の我が息子、なまじ日本語がわかるようになってきたものだから、「本を読み聞かせてくれているが内容が英語だから自分には分からない」という状況を的確に理解していて、司書さんが本を読み始めるや、私をみて「さあ通訳しろ」と言わんばかりなのだ。
そこで私は司書さんのすばらしい抑揚の英語にあわせて、同時通訳の日本語で、本の内容を彼の耳元にささやき続けることになる。こども向けの本と侮ることなかれ、空想物語などはこちらの常識を逸した内容となるので、単語がひとつ分からないだけでさっぱり内容がつかめないこともあるのだ。こんな単語は高校時代の「Target3000」の単語集には載ってなかったぞ!などと脳内で恩師に文句を言いながら、顔ではニコニコと笑顔を絶やさずに、右手はスマホの辞書アプリをポチポチ。
読書、ニコニコ、辞書、読書。その繰り返しだ。
通訳がおくれると、息子は笑いどころや驚嘆どころを逃してしまうことになるので、私はもう必死だ。追いつこうと早口になるので、字余り感も半端ない。だが息子は、私のその必死さがどうやら面白いようで、毎度大変にご機嫌でLeadingTimeを楽しんでいる。彼がご機嫌だと我が家は平和だ。
ちっとも運動していないのに、冷や汗で汗だくな私。先日の絵本のしめくくりが「Who is tired?(疲れているのはだあーれ?)」だったのだが、思わず「It's me!!(わたし!)」と答えてしまった。
【アメリカ生活】TODOリストのない生活
埋めるべきチェックボックスのない日というのは、なんて自由で、なんて心許ないのであろう。マルチタスクというものがどうも苦手で、なにをするにもTODOリストが不可欠だった。
新入社員時代には
「□〇〇さんへのメール返信9:00まで」といった業務に関することから
「□昨日の飲み会で隣に座った他部署の先輩にお礼を言いに行く」など、
自然にできてもよさそうなものまで、全てTODOリストにしていた。名前のとおりの「ぶきっちょ」なので、ひとつのことを始めると他の大事なことをきれいさっぱり忘れてしまうのだった。
息子が生まれてからはTODOリストにすべて☑が入ったことは一度もない。
「□保育園布団にお名前シートを縫い付ける!」
「□予防接種の予約 〇〇医院は昼休業、業務時間中に電話予約必須!」
「□企画書提出17:00最遅!」
「□パプリカが腐りそう!今日使う!」
どれもこれもやろうとして、どれもこれもTODOリストにエントリーするのだが、「必須!」と書かれたものが1週間後まで残っていたり、やられないまま放置されたりすることもままある。育児休業中も、のんびりしているようで、いつも「あれやらなきゃこれやらなきゃ」と何かに追い立てられていた気がする。
けれど今。わたしは立派な無職。いつ日本に帰るかも分からない。
渡米後、荷物の整理も済み、面倒な事務手続きが概ね済んだところではたと気づくと、もう何日もTODOリストを更新していないのだった。「いってらっしゃい」と主人を見送った後は息子とふたり、なにをしてもなにをしなくてもよい生活。
さて困った。習い性というか、埋めるべきチェックボックスがないとそわそわして、落ち着かないのである。もちろん息子の世話は終日あるのだけれども、彼が集中して遊んでいるときや寝静まった後などに、ふと「私はいまここで何をしているのだろう」と不安になる。
そこで導入したのが、バケットリスト(bucket List 首をつって死ぬときに、台(バケツ)を蹴ることに由来するらしい)。TODOリストがやるべきことリストならば、バケットリストはやりたいことリストだ。
またしても、さて困った。思うさま「やりたいこと」を連ねるのが案外難しい。実現可否は置いておいて、まずは「やりたいこと」が何か考えているのだが、真っ先に「出来るかな?」がきてしまいなかなか思いつかない。
結局わたしの頭のなかのTODOリストに、
「□バケットリストを作成する」がエントリーしているだけなのであった。
【アメリカ生活】This is「ゴミシュシュシャア」
家族でアメリカに移住して3か月。
私も主人も生粋の日本人。どうせ自宅は「日本」なのだからと油断していたのだが、バスの運転手さんやらスーパーマーケットの店員さんやらテレビのコメディアンやら、随所に登場する「英語」の存在を敏感に感じ取った息子がある日「Oh,schoolbus!」と黄色いスクールバスを指さした。
ぎょっとしたのは純日本人の母たる私。彼の発音は完全ジャパニーズイングリッシュである私をすっかり置いてけぼりにしていた。そして純日本人である私の脳みそが描き起こした彼の発音は、「スクーゥベァース」。
その「スクーゥベァース」を皮切りに、あれよあれよと英語を話し始めた彼の最近のお気に入りは「〇〇・・英語で?」と聞くことだ。
ごはんを食べていたらトマトを指さし「トマト、英語で?」。
寝かしつけていたらマットレスを指さし「布団、英語で?(マットレスというカタカナ語を知らないので全部「布団」になっている)」
そのたびに母は彼の学習意欲を削ぐまいと、こっそり後ろ手でスマホを起動しグーグル翻訳で正しい発音をチェックすることになる。トマトなら「タメイドゥ」、マットレスなら「メァットゥレェス」などと。到底ネイティブの発音には似ても似つかないのだろうが、ジャパニーズイングリッシュで覚えるよりはよかろうと「それっぽさ」を追求した応答をしているが、発音に関して自然体でするするそれっぽい音で覚えていく息子に対して、背伸びに必死なのは親の方である。
しかしここでひとつ問題が起きた。
「そうか、それっぽいことが大事なんだな」といち早く感じ取った息子は、よくわからないけど英語で言ってみたいことばに関して、なんのためらいもなく「英語っぽく」話すようになってしまった。
街中で見つけたゴミ収集車は「ゴミシュシュシャア↗」だし、犬は「イヌゥ↘」である。笑わそうとしているのではなく、大真面目にそれっぽく発音してくるので、笑うのも失礼かと思い堪えているが、免疫のない主人は抱腹絶倒である。
腹を抱えて笑う主人を心配した息子が「Oh,Are you OK?トウチャアン?(父ちゃんといいたい)」と畳みかけるように聞くものだから、もう止まらない。
息子に正しい単語を教えながらも、なかなか見られない主人の爆笑が見られて得したと思っている私はちょっぴり「いいぞ、もっとやれ」と思っている。