ぶきっちょさんの共働き入門

2021年夏より家族でアメリカ居住。異国暮らしとキャリア断絶について考える日々

【夫婦のかたち】家を清潔に保つこと

子供のころはちっともそんなことはなかったのに

結婚してから、ずいぶんと掃除好きになってしまった。

というより、きれいでないと罪悪感を覚えるようになってしまった、

が正しいかもしれない。

 

小さな社宅暮らしであるけれど、

自分の城というか、

「自分が清潔に保たねばならない空間」であると思っているのだと思う。

繰り返すけれども、子供のころには全くそのようなことはなかったのだ。

なんなら遠方に住まう母が一度我が家を訪ねてきたとき、

主人がきれいずきなのであって、

私自身が掃除をしているとは信じてもらえなかったほどだ。

 

母と住んでいるとき、住まいは母のルールのもとに運営されていた。

当たり前のことなのだけれど、掃除も洗濯も母がルールを決めていたので

(どの掃除器具を使って、どの洗剤を使って、どの程度まできれいにするのか)

また、母は子供に家事を、というより物事を言葉で説明する人ではなかったので

よかれと思って何かをすれば怒られ、もしくは何かをしなければ怒られていた。

 

今になってみれば、理不尽なことであると思う。

ルールも教えられないまま試合に参加させられ、

それなのにミスをすれば怒られ、ミスをしなくてもやる気がないと怒鳴られ。

そんな感じである。

家の手伝いをしなさいだとか、あんたは全然手伝いをしない、だとか

それだけを詰られ、責め立てられたところで

家事がうまくなるわけがない。

 

会社では、後輩を指導するときによく、

「やってみせ言って聞かせてさせてみせほめてやらねば人は動かじ」と

いわれたりするものだけれど、

家事だって同じことだと思うのだ。

 

それが結婚してから家庭をもち、

夫婦で住む家ができて、

「この家ではもう、何をやってもやらなくても理不尽に怒る人はいないのだ」と

それはそれは大きな解放感を感じたものだ。

 

それまでも実家を出てながらく一人で暮らしていたけれど、

一人で暮らしているときは、家事という概念がそもそもなかった。

朝から晩まで(ときには朝から朝まで)おなかいっぱい仕事をして

掃除も洗濯も、したいときや困ったときに、なんとなくやればいい。

そこに秩序はなかったし、頭の中は仕事でいっぱいだったので

散らかっていようが空気が澱んでいようが、かまわなかった。

 

それが、結婚して他人と一緒に住むと、

終始自分の生活が、その人の目にさらされることになる。

「家事」という概念に久しぶりに出会ったのだ。

そして思う。

「ああ、私はこの家で、家事をどのようにやってもやらなくても構わないのだ」と。

 

主人は、家事に無頓着だ。

清潔であろうが不潔であろうが、気にしない。

というより、彼の「清潔」レベルが私のそれよりかなり低いところにあるために

私の中では相当に部屋が汚くなってきた、というところまできても

彼は気にも留めないのである。

とても気が楽であるのだけれど、一方で部屋を清潔に保つのは

必然、私の役割になる。

私が気分よく生活するためには、自分で清潔にするしかないのだから。

 

当初の私は、不思議な高揚感でもって、この責任ある役割を全うしていた。

だが、人間息切れはするもので、

結婚してもうすぐ丸5年、ともなると、なんとなくマンネリというか、

清潔にしてもしても、

あっという間に汚れるトイレや積もる埃に少しうんざりしてきた。

いや、結婚してすぐに単身赴任になったから、

そもそも毎日一緒に暮らせるようになったのは、出産してからなのだ。

やっぱり付け焼刃には難しいのかもしれない。

 

専業主婦をやっている今でさえこのありさまである。

いわんや職場復帰後なら、なおさら億劫になるに決まっている。

 

息子が寝静まったあと、

「ああ、そろそろトイレの床を、壁を拭き上げなければいけない。

 いいや、でももうお風呂に入ってしまった。明日にしよう・・」

罪悪感に苛まれながら、後ろ手に見ないふりしてトイレをあとにする。

そして翌朝がやってきても、朝からフルスロットルな息子を前に、

トイレ掃除を丁寧にやっている余裕などあるはずもなく。

その晩、同じ罪悪感がやってくるのだ。

 

「やあ、ここんところ毎日ですね。

 私に会いたくなけりゃあ、さっさとトイレの床を拭いたらどうです?」