ぶきっちょさんの共働き入門

2021年夏より家族でアメリカ居住。異国暮らしとキャリア断絶について考える日々

【育児】洋服を選ぶということ

今日の息子は、お気に入りのバスをおなかに掲げて

誇らしげに眠っている。

今朝、バスとブルドーザーがプリントされたものを二つ差し出し、

「どちらがいい?」ときいて、自分で選ばせたものだ。

「だっちゅ!(バス)」と即答してバスを選んだ息子は

ご機嫌でお着替えに協力してくれた。

 

1歳5か月にして、立派なおしゃれさんである。

主人は自分で洋服を選ぶことをしない人なので、その点だけで言えば

すでに父ちゃんを超えている。

 

もちろん寒暖や、その日の予定など知る由もない彼のために

適した洋服を事前に選別はするのだけど、

最終的に「自分で洋服を選んだ」という事実を積み重ねてやりたい。

人生は、自分で選ぶことの連続だから、たくさん練習してほしいのだ。

もちろん、選べないことも山ほどあるし、そちらのほうがなんなら多いのだけど

選べることは、選べるようになってほしいと思うのだ。

そのほうが、きっと楽しいから。

 

私は小さいころ、洋服を選ぶことができなかった。

毎日、母の選んだものを着ていた。

驚くなかれ、高校生になっても、大学生になっても苦手だったのである。

さすがに自分で着るものくらい決めていたけれど、

自分で洋服を楽しんで選び、着たい服が着られるようになったのは

留学して母のもとを離れてからだった。

 

小学校3年生くらいの時のことだ。

初めて母が私に、洋服売り場で「この服なんてどう?」と聞いてくれたことがある。

それまで洋服は母が選び、会計して、私はありがとうと言うだけだったのに

初めて選択権を与えられた気がして、嬉しかった。

尋ねられた瞬間ドキッとすると共に、気恥ずかしくもあったけれど

すぐに「かわいい」と答えた。

カラフルなワンピースだった。

フードがついていて、レインボーカラーのボーダー柄をしていた。

当時かわいいと思っていた隣のクラスの女の子が着ていたものと似ていて

自分も是非着てみたいと思ったからだった。

 

すると母は驚いたように言った。

「えっ!冗談で言ったのに、こんな幼稚な服が好きなの?」

 

冷や水をかぶったような気がした。

口ごもって何にも言えなくなった私に

母はバカにしたように笑いながら

「いいわよ、欲しいなら買ってあげるわよ」と重ねた。笑いながら。

 

その時からだと思う。

私が洋服を選ぶことが決定的にできなくなったのは。

植え付けられたのは、「間違えるかもしれない、笑われるかもしれない」という

恐怖である。

母は何の気なしに言ったのだろう。

この時のことを、覚えてもいないに違いない。

 

 

私は今日も、明日も、息子と一緒に服を選ぶ。

いつか彼が大きくなって、少年から青年になって、

その時流行している服を選ぶようになって、

たとえそれが私には珍妙に見えたとしても

彼がそれを着たいと思い、それで毎日が幸せになるのであれば

私は「それ、いいね」と心から声をかけたい。

 

着たい服を着て毎日を過ごす楽しさを、彼には知ってほしい。

人生は毎日の積み重ねだ。

その一日が幸せになるように、

私は今日も、明日も、息子と一緒に服を選ぶ。