ぶきっちょさんの共働き入門

2021年夏より家族でアメリカ居住。異国暮らしとキャリア断絶について考える日々

【今週のお題】できればシンプルで、食べ飽きないようなもの

シンプルが一番、という言葉がある。ごたごたと飾り立てるよりも、必要なものが必要なだけ、きちんとそこにあるのは心地よい。もちろん和洋折衷というように、風習・様式を適当に取り混ぜることによって新たに生まれる美もあれば、住み慣れた実家のようにちょっとごちゃごちゃしている場所が生む気安さには得も言われぬ良さがあると思う。

けれど例えばちょっと疲れたときだったり、ちょっと街中で目に留まったりしたときに、不思議と心惹かれるものはシンプルなものであることが多い。シンプルなものは物事の本質を明らかにしてしまうからかもしれない。とくに私がぶきっちょで、一つの物事にかかりきりになると色んなことがおろそかになってしまうから、単純ではっきりしたものの方が、安心するのかもしれない。

食べ物にも同じことがいえると思う。

有名になるほど美味しくて評判の店というのは、シンプルな料理が一番おいしいことが多い気がする。ピザはその代表格だ。マルゲリータ万歳。

 

私がこれまで生きてきて一番おいしいと感じたピザも、マルゲリータだった。実をいうと本当にそれがマルゲリータだったのかは分からないのだけれど(なにせ看板がイタリア語で、しかもぐちゃぐちゃの筆記体で書かれていたから)、トマトとバジルとチーズ以外の具材は見当たらなかったし、一番安いものを選んだからきっとマルゲリータだったと今も信じている。

1月のベネチアでどんよりと立ち込める曇天の中、かじかむ手で歩きながら食べた一切れのマルゲリータの美味しかったこと!貧乏旅行だったので旅の間ほぼリンゴとパンしか口にしていなかったのもあるかもしれないが、塩気のあるチーズに、酸味の効いたトマトソース、鼻に抜ける嫌みのないバジルの香りといったら!当時一切れ300円程度で売られていたファストフード(クレープのようにピザが一切れ包んであるのだ。包装紙は火のそばに置いてあったのかと思うほど焦げて硬くて扱いづらくて、ピザをかじる度にぱりぱり音がした)なので、絶品料理であるはずもないのだけど、10年来しつこく覚えているほどにはとにかく美味しく感じたのだ。

異国の空気というものがそうさせたのかもしれない。ちっとも晴れずに暗く湿った空気で満ちていたベネチアという場所は、色とりどりの土産物屋通りから少し外れると色彩に乏しくて冷たく、ずいぶんさみしい場所(なにせ激安宿だったので)に感じた。だからその中で手渡しされた赤、緑、白、てらてら光るオイルの色に、そしてシンプルで鮮烈なにおいに、惹かれたのかもしれない。

食べ物の味は素材や調味料だけでなく、どこで誰とどんな風に食べるのかにも影響されるものなのだなあと思う。

 

私の主人は食事に対して不平不満を言わない人なのだけれど、だからこそぶきっちょなりにできる限り美味しいものを作ってあげたいものだとは思っている。これから正しく、死が二人を分かつまで一緒に暮らしていくとするならば、毎日一緒に食べるごはんは美味しいほうがいいに決まっているから。できればシンプルで、食べ飽きないようなもの。そして私と食べるごはんは美味しいなと思ってもらえるような、家族の食卓という場所そのものを。

 

今日は長らく切らしてしまっていた赤味噌をようやく買ってきた。近くのスーパーでは扱っていない銘柄だからたまに切らしてしまうのだ。ここ最近は白味噌のお味噌汁が続いてしまった。主人はお味噌汁は赤、の人なのできっと喜んでくれるだろう。

 

「お味噌汁美味しい?」

「あ、うん。いつもどおり美味しいよ」

「・・・」

 味噌の種類が変わっても気づかない主人だけれど、舌の記憶には残っているに違いないと信じている。