ぶきっちょさんの共働き入門

2021年夏より家族でアメリカ居住。異国暮らしとキャリア断絶について考える日々

【夫婦のかたち】育児はこどものお世話、家事は大人のお世話

家事も育児も、要は人間のお世話をすることなのだと思う。そこに男女もなにもない。

 

育児は、文字通り「児を育てる」ことだ。こどものお世話をすることだ。おっぱいを与え、おむつを替えて、着替えさせて、お風呂に入れて、ゆっくり眠れるように背中をトントン叩いてあげる。毎日を心地よく生きていけるように。

一方で家事は「家の事をする」と書くので、まるで自然発生する家庭内の用事のようにみえるけれど、その実は自分も含めた大人のお世話にすぎないと思っている。食事をつくり、トイレを掃除し、洗濯をして、お風呂を洗ってお湯を沸かし、気持ちよく眠れるように布団を干してシーツを洗っておく。毎日を心地よく生きていけるように。同じことだ。

 

独身の頃は、家事を負担に思ったことなどなかった。食事は朝昼晩と会社のデスクでパンをかじることも多かったし、独身寮の部屋は狭くて掃除するところも多くない。洗濯はするけれど、服がなくなりさえしなければそれでいいわけだし、畳まずクローゼットにポイ!でおしまいだ。つまるところ、一人では自分のお世話をちゃんとする気になれなかったのである。

それが結婚して、主人と二人で暮らし始めて、お世話をするべき大人は家に二人になった。いままで通りパン食べてて、というわけにもいかないし、部屋だって散らかり放題では慎みがない。「家事」の登場だ。

 

大人のお世話であるわけだから、妻がやらねばならないわけがない。大人なんだから自分でやればいいのだ。自立・成熟した一人の人間なのだから。

 

ちなみに我が家では、ほとんどすべての家事を私が担当している。

それは「妻だから」「母親だから」ではなく、主人を愛しているからだ。仕事はものすごくできるのに、家の事となるとからきしな彼を応援してあげたいから。好きで、尽くしたいと思っているからやっているに過ぎない。喜んでほしいから。育休中で養ってもらっているから、でもない。だって仕事で彼が出払っている間も、仕事に備えて休まねばならない夜間も、私は子供のお世話をしているのだから。

幸い彼は、してもらったことに対して十二分に感謝の意を示す人なので、我が家はそれで成り立っている。共働きを控えて家事分担リストをつくったりしてみたけれど、結局「やってあげようかな」でお蔵入りだ。

 

仕事が始まったあときちんと上手く物事がまわっていくのか、仕事も、育児も、家事も自信はない。けれど悲観もしていない。うちにはいざとなったら、とっ散らかった不器用な私のお世話を買って出てくれる頼もしい大人がいるのだから。

「妻なんだから」「母親なんだから」

育児も家事も君がすべてやるべきだなどと、絶対に言わないと分かっているからこそ、私は育児も家事もすべてやれるのだ。