ぶきっちょさんの共働き入門

2021年夏より家族でアメリカ居住。異国暮らしとキャリア断絶について考える日々

【育児】初めての登園日

息子はいつもより早く寝付いた。疲れていたのだろう。

今日は初めての登園日だったから。

 

どこに行くか分からないまま出発した保育園。意気揚々と主人に手を振り、「行くぞーっ!」と声をかけると「おーっ!」と元気よくこぶしを振り上げていた。当然だけれど私が彼を置いて保育園をあとにするときには阿鼻叫喚で、先生の腕の中で大暴れしていた。必死にこちらに手を伸ばしながら。

痛いほど気持ちがわかる。昔の自分を思い出すから。

年長になっても保育園がだいきらいで、母親が見えなくなってもしつこく絵本コーナーで泣いていた。給食もいや、お昼寝もいや、みんなと遊ぶのもいや。いいから私を家に帰してほしいと必死に抗議をしていたことを覚えている。

 

今日は慣らしのための短時間保育なので、離れている時間は2時間もない。自宅に帰って息子のいない部屋でひとりコーヒーを淹れたけれど、静かすぎて落ち着かず、あれこれと家事に手を付けてしまった。おかげでせっかく淹れたコーヒーの表面には埃が浮いている。

 

そわそわして落ち着かないまま保育時間が過ぎ、少し早めについた保育園。遠目に息子を観察してみたら、予想とは全く違う光景だった。

次から次へとおもちゃや絵本に手を出しながら、先生にちょっかいを出し、水道に手を伸ばし、段ボールのトンネルにもぐりこんで、生き生きと遊んでいるたくましい息子の姿だった。安心だとか喜びだとかよりも先に、不覚にもチクッと寂しさを覚えてしまったのは子離れのできていない母だろうか。担任の先生が言うには、外遊びも堪能していたという。

 

ふと息子がこちらを見て、我に返ったようにぎゃーっと泣き出す。抱き上げてなだめながら、ふいに「ああそうか」と気が付いた。息子はきちんと分かっているのだ。私が必ず戻ってくることを。いくらでも甘えてよいのだということを。

そう気が付いた時、少しくすぐったいような気がした。

よかった、私は彼に、きちんと愛情を与えられていたのであった。

 

息子は主人にびっくりするほど似て、こちらがグイグイ愛情を伝えているときはとても素っ気ない。抱きしめると迷惑そうにしている。主人と遊んでいるときのほうがよっぽどベタベタしている気がする。なんとなく片思いだなあと寂しく思っていたけれど、それはおそらく信頼の証左なのであった。