ぶきっちょさんの共働き入門

2021年夏より家族でアメリカ居住。異国暮らしとキャリア断絶について考える日々

【キャリア】働かなくていいんだよ④

はて、私は一体、なんのために仕事をしていたのだっただろうか。

 

就職当初、その目的は明確であった。理由はたくさんあった。

まず差し迫った話として、そもそもごはんが食べられないし、奨学金の返済が毎月2万円(利子付きだった。初めての借金だったので利子というものが随分恐ろしく感じた)待ち構えていた。あんなに苦労して入った会社だ。次の勤め先が見つかるかも分からないし、会社寮に住んでいる以上、会社を辞めたらお金も住居もなしでお先真っ暗になってしまうように感じていたのだ。帰れる実家がない以上、もはや背水の陣である。

それにとてもあこがれていた業界だった。あこがれていた通りの仕事だった。泥臭くて、同じことの繰り返しで、だれにも褒められることもない。けれど仕事の成果は街中にあふれ、いつだって自分の仕事を誇らしいと思えた。

そしてまた、仕事を続けていくうちに、理由はどんどん増えていった。

尊敬できる人がたくさんいた。職場の先輩、上司という以上に、人として尊敬できる人に出会った。毎日自信を打ち砕かれて、落ち込み、へたりこんだけれど、手を差し伸べ引っ張り上げてくれる人がいた。仕事は辛かった。けれど、楽しかった。大きな仕事を任せてもらえるようになり、少しずつ信頼を積み重ねて、役に立てていると実感が持てるようになったところだった。成果があらわれて、君に頼んでよかったと言ってもらえたとき。会社の収益に少しでも貢献できていると評価されたとき。もちろんただの歯車だ。大きな会社で代わりはたくさんいるのだから。それでも、役に立つ歯車であれたこと、その結果が目に見えてあらわれはじめたこと。

なんの特技もない、とくに目立たない私でも、きちんと社会の一員として認めてもらえたのだという自負。

 

就職は結婚に例えられることがある。

粗があるかもしれないけれど、いいところもある。結婚してみなければわからないけれど、そこも含めて添い遂げていくのです。

もしこの会社を辞めたとして、わたしは何もしないで家にいられるだろうか。罪悪感を感じずに、過ごせるだろうか。転職したとしたら、次の会社で今と同じように、気概をもって働けるのであろうか。

 

会社を辞めたわたしに、いったい何が残るのであろうか。