「産後ケアを利用しよう・・・!」
1週間頼れる身内もおらず、息子と二人きりの生活に不安を覚えた私は、産後ケアを利用することにした。
大変だったのは持ち物の支度で、3泊4日(行政の経済支援が受けられるぎりぎりまで使うことにした)分の滞在荷物は両手で持ちきれないほどなのだった。お世話になる施設ではおむつなど何一つ追加購入ができないので、「これだけあれば絶対に大丈夫!息子がどんなに下痢しても吐いても絶対に足りる!」というだけ持参せねばならず、不安症のわたしが準備した荷物はそれはもうすごい量なのだった。
会陰切開の傷がいたくて車の運転もできなかった私は、タクシーのトランクいっぱいに荷物を詰め込み(優しい運転手さんでよかった)、緊張しながらいざ産後ケアの施設に向かった。
受け入れてくれた施設のスタッフさんは、普段新生児を扱うことが少ないらしく、息子をとても歓迎してくれた。到着するなり「まああああかわいい!!」と黄色い歓声とともに息子は抱き上げられ、私はナースステーション前にぽつねんと一人残されたくらいだ。その対応に若干ひいてしまったが、ともかく歓迎していただけてよかったです、と一息ついた。
しばらくして滞在するお部屋に案内してくれたのは、小柄でてきぱきとした優しい助産師さんだった。母乳で育てることを希望していると知るや、すぐに授乳状況を確認し、うんうんと大きく頷いて私の肩をうしろからバンバンと叩いた。
「よおーく上手に飲めてるよ!
かあちゃん、上手に飲ませてる!
偉いねえ、よおおく一人で頑張ってきたねええ!」
それまで3週間流れてこなかった涙が、堤防が決壊するかのようにだぱあっとあふれ出て、私は大号泣してしまった。
息子を飢えさせてはいけない。
息子に湿疹をつくってはならない。
息子は毎日快適だろうか。
私のお世話の仕方が悪いから、毎日泣いてばかりいるのだろうか。
息子が死んでしまったらどうしよう。
息子が生まれて、産院を退院してからずっと「できない」「不安だ」なんて弱音を吐くのが怖かった。私がしっかりしないと、この小さくて弱弱しい生き物は死んでしまうのではないか。しっかりしなくては。しっかり。
本やネットに書いてあることが頼りだった。味方は本やネットの中にしかいないと思っていた。ママ友なんていなかった。母は「甘えるな!」と怒ったし、義母には呆れられるのではと怖かった。主人とは二人三脚で頑張っていたけれど、外でプレッシャーを受けながら働いている彼に、育児の事でも寄りかかるのは気が引けた。優しい人だから、頼ってしまえばどこまでも甘えてしまうのではないかと思った。私は、息子の母親なのに。
そんな私を助けてくれたのは、
行政が提供してくれる産後ケアというサービスだった。
あのときの助産師さんには今でも感謝している。
それ以来、我が家での両親の呼び名は「とうちゃん、かあちゃん」になったのだった。その肝っ玉かあさんのような助産師さんが使っていた呼び名に倣って。