ぶきっちょさんの共働き入門

2021年夏より家族でアメリカ居住。異国暮らしとキャリア断絶について考える日々

【育児】産後ケアでの出来事③

かあちゃん頑張ってるよ!」

優しい言葉に励まされた私は、ああここでは人に甘えてもいいのだ、頼っても大丈夫なのだと心底ほっとしたのだった。育児ノイローゼになっていたつもりはなかったけれど、気負いすぎていたのだろう。

疲れていても飛び続けなければ、飛ぶのを辞めたら息子ともども落ちて死んでしまう、ともがいていたところに行政が手を差し伸べてくれたように感じた。止まり木をすいっと差し出されたみたいな安堵だった。

「まあまあ、お前さんはよく頑張っているんだから、少し休んでいきなさい」

この国も捨てたものではないではないか。弱者に手を差し伸べてくれるのだ。

有難いことだ。日本に生まれてよかった。頼れる親族がいなくても、本当に困ったら行政が助けてくれるのだ。ありがとう、ありがとう、ありがとう。

 

その日の晩は、本当に久しぶりに、2時間気を失ったように眠った。いつ眠りに落ちたのかも覚えていない。電源が落ちたようだった。

2時間で授乳の時間が来てしまったのだが、たった2時間でも、息子の気配を伺いながら「死んでいないだろうか?息をしているだろうか?」と怯えながら休むのとは大違いであった。

大丈夫だ、プロが息子をみていてくれる。私が眠っていても絶対に死んだりしない、というのはものすごい安心感で、2時間経って目覚めたときには嘘のように頭がすっきりしていた。

その後は息子が母親恋しいのか離れたがらなかったので、断続睡眠再びとなってしまったが、一度深い睡眠をとれたおかげで随分元気になっていた。息子に対しても余裕をもって接することができて、一層ほっとしたしたのだった。大丈夫、私は息子のお世話をちゃんとやっていける、と。

 

翌朝私の部屋にやってきたのは、前日お世話になった肝っ玉助産師さんとは別の人だった。大柄で声がとても大きく、はきはき話す人だった。

「それで、昨日は休めましたか?」

そのスタッフさんの問いかけに、私は感謝のきもちを込めて言った。

「おかげさまで、久しぶりに2時間まとめて眠ることができました。みなさんのおかげです。ありがとうございました」

ベッドの上で深々と頭を下げた私を、血圧計をいじりながら横目で見てそのスタッフさんは「そう」と素っ気なく返した。そしてこちらを見ないまま「じゃ、今夜はどうします?」と続けた。

 

自宅に帰ったら、また不眠不休の日々がやってくる。ここにいるときくらいは、人に頼ろう。行政の救いの手を有難くとらせてもらおう、と決めていた私はそのスタッフさんに今夜も息子をみていてほしいと何の悪びれもなくお願いした。快く受け入れてくれると信じて疑わずに。

 

するとさっと厳しい顔つきでこちらを見たスタッフさんは、尖った声で言ったのだ。

「・・・2時間も寝たのに、今日も預けるの?

 休めたって言ってたじゃないの。何がつらいの?

 母親なんだからもう少し、頑張ってみたら?」