交友関係もない、趣味もない、特技もない、手に職もない。
一体毎日何を話題にすればいいのだろうか。
私が会社を辞めたら彼しか残らないけれど、果たしてそんな自分と、彼は添い遂げたいと思い続けてくれるのだろうか。
何にも残らない私に、一緒にいる価値があるのだろうか。
自問自答の日々がはじまった。朝も晩も、このことばかり考えていた。
異動の日はどんどん近づいていた。答えはなかなか出なかった。
私は小さいころから不器用で、なにかひとつのことを始めると、他がおろそかになるタチだった。部活動が忙しくなると成績は下がり、受験勉強をしているとお弁当箱を洗い忘れた。おつかいでクリーニングが済んだ洋服を取りに行ったのに、ご褒美のおやつだけ買って帰って叱られたり、洗い物の途中で電話がかかってくれば、そのまま夜までほったらかしにしたり。図書館で本を読んでいたら授業がはじまっていたことなど数えきれない(おかげで小学校では大変な劣等生であった)。
女性はマルチタスクというけれど、自分はどうやら生まれるときに、丸ごと母のおなかの中に忘れてきたらしい(いろんなものを忘れてきたと思う。それくらい母と私は正反対だ)。
不器用な私は会社に入って、何百回何千回と怒られた。叩かれに叩かれた。あまりに仕事が回らなくて、呆れた職場の人に口をきいてもらえなかった時期もある。ひとつのことにかかりきりになれば、ひとつのことを忘れて大騒ぎになった。取引先に納期相談の電話をすれば、社内の関係先に受注のFAXをするのを忘れた。納品書を整理すれば、客先とのアポイントに遅れた。とんでもないミスばかりだった。
だけど仕事を辞めるわけにはいかなかったので、這いつくばって周囲に謝り倒しながら、なんとか今日まで続けてきたのであった。
そしてその過程で、私は社会に属するということを知った。社会は広いのだと思った。知らないことがたくさんあった。出来ないことばかりだった。
けれど、出来ることもまたあると知った。会社というのはただの組織だと思っていた。そこで行われているビジネスの規模の大きさを知って、めまいがした。そしてそれに自分が関わっているということも。
ひとつずつ知らないことを知っていって、ひとつずつ出来ることが増えていった。
世の中の動きやそれによる影響、自分には無関係だと思っていた政治や経済。
成果は街中であふれていた。どこにいってもみることができた。自分も社会に属しているのだと思えた。
ただただ理不尽で怖いばかりだと思った職場の先輩や上司たちが、誇りをもって仕事をしているビジネスマンなのだと気づいた(今やったらハラスメントだと思うけれど)。尊敬できる人がたくさん働いていた。格好いいと思った。私もそうなりたいとも。
三つ子の魂百までと言うけれど、会社に入る前の私と今の私は別人だ。
私は今の私が好きだった。
主人と出会い、恋をして、仕事の話でけんかをしたのは今の私だ。
そうか、私を今の私にしてくれた、この会社の仕事が好きなのだ。