「アイロンなんか、かけなきゃいいじゃないですか」
何気なく言った言葉だった。
会社の先輩とお昼ご飯を食べていた時の事。ご主人との言い争いになった原因が、ご主人のワイシャツの取り扱い方であったらしい。着用した後のワイシャツは脱衣場に持っていってほしいとお願いしているらしいのだが、面倒なのか家のあちこちで脱ぎ散らかされるとのこと。それが週末、洗濯+アイロンがけがすっかり終わってから1枚2枚と見つかるそうだ。まとめてやれば手間はそうかわらないのに!と憤っているのだった。
ご主人は、その先輩の猛攻をのらりくらりとかわしてちっとも反省せず、もう同じ内容での言い争いは数えきれないほどしたらしい。
そこで私が言ったのが冒頭の一言だ。やってもらう側への感謝が圧倒的に足りないからそうなるのだ。感謝という対価が払われないのであれば、私ならやらない。しわくちゃのワイシャツを着ていけばいいのだ。恥ずかしいのは自分である。
ところが、そこで先輩はこういった。
「絶対に無理!職場の人みーんなに思われるんだよ!奥さんだらしない人だねって!」
これに私は目からうろこが落ちた。そんな風に考えたことは一度もなかったからだ。
その先輩は仕事もプライベートもどちらかというと「攻めの姿勢」の人で、収入だってご主人とそう変わらないだけ得ていたそうだし、女だからって舐めるなよ!というオーラ全開な人なのである。
それが、見ても聞いてもいないご主人の職場の人からの「奥さんやってくれないの?」には屈してしまうのだから、世論というか世の中の雰囲気というのは本当に恐ろしい。
先輩は自分の職場で、同僚の男性に「奥さんやってくれないの?」という呪いの言葉を上司陣がかけているのを聞いたことがあるそうだ。なるほど、確かに自分の身に置き換えてみるとちょっと嫌かもしれない。
毎日特急で仕事を片付け、保育園にお迎えに行き、帰ったら家事をこなし、くたくたで全力疾走しているような毎日なのに、ひとつの落ち度(ないしはご主人の怠慢)で妻には「だらしない」という評価がつくのだ。恐ろしいとしかいえない。
でも、不思議な話だ。
スーツもワイシャツも、ネクタイも革靴も、ビジネスマンにとってはいわば商売道具。毎日戦場へ赴くための大切な装備ではないか。なぜ自分で手入れしないことが当たり前だと思われてしまうのであろう。私だったらプロでもなんでもない自分の配偶者に、大切な仕事服を管理してほしいとは思わない。大事な商談のあるときはパリッとしたスーツがクリーニングが済んだ状態でスタンバイしていてほしいし、お気に入りのスカートはしわがつかないように自分で扱いたい。
やはり「あなた、いってらっしゃい」といってネクタイを結んであげていたころの名残だろうか。(ちなみに私は主人にネクタイを結んであげたことはない。大昔に「覚えようか?」と言ってみたら拒否されたから)
結局その先輩は、私が着用していたアイロンフリーシャツに目をつけて、ご主人のワイシャツをすべて(20枚くらい。結構な出費だ)買い替えることで解決したらしい。めでたしめでたしなのだが、このときの新鮮な驚きは今でも覚えている。
「奥さんやってくれないの?」の呪縛は、気が付いてしまうとなかなか逃れるのが難しいものだ。客先と会うことのない職場で過ごす私の主人は、服装に無頓着な人で、清潔でありさえすればよいと考えているので、うっかりすると皺のよったシャツでも気にせず着ていこうとする。
今では私もこの呪縛からなかなか逃れられず、慌ててアイロンのかかったものに着替えさせてしまう。「奥さんやってくれないの?」「いいえ!私はちゃんとやっていますとも!」・・不毛だろうか。
いつか私が仕事を続けて、部下を持つ立場になったとして。だらしのない恰好をしている人がいたら、男性であろうと女性であろうとこう声をかけようと決めている。
「商売道具はちゃんとメンテナンスしましょう!!
もちろん自分で!!」