ぶきっちょさんの共働き入門

2021年夏より家族でアメリカ居住。異国暮らしとキャリア断絶について考える日々

【回想】忘れ物の数だけ、黒板に正の字を書きましょう①

ブログ趣旨とは少し外れるかもしれませんが、ツイッターで話題になっていたことで昔の記憶が鮮明に思い出されたので書いてみることにします。育児に通ずることもあったので。

 

ツイッターで「忘れ物の数を黒板に書きだされる学校があるらしい」と話題になっていて、ああまさに私の通っていた小学校もそうであったと思い出した。

何年生のころだったか、ひとつくらい前後するかもしれないがたしか小学校2年生のころの事だったと思う。こどもたちの忘れ物をなくそうと、当時の担任が決めたことだった。若くて(おそらくは学卒後すぐ)、可愛い雰囲気で(髪が肩のところでふわふわしていた)、ちっとも怒らずにこにことみんなを見守ってくれる先生で、私は大好きだった。クラス全員おそろいのランチョンマットを作ってくれたり、クリスマスには「ほかの先生には内緒」で全員分クッキーを焼いてきてくれたりするような先生だった。一番好きだった先生は?と聞かれたらその先生のことを思い出す程度には、好感をもっている先生であった。

教室の背面の黒板の下部に、横並びで生徒全員の名前を書く。そして、忘れ物をした子がいたら、その子の名前の上に「正」の字を一本ずつ足していく。

 

何を隠そう、当時の忘れ物番長はこの私であった。正の字はあっという間に積み重なり、隣の人の列まで侵食してしまった。

この制度があるから、先生は忘れ物をしても怒らなかった。ただ促すだけだ。忘れ物の数だけ、黒板に正の字を書きましょうね。

「あの子は忘れ物が多い」ということが、常に見える化された状態で授業を受け、給食を食べ、掃除をする。生徒だけではなく、授業参観に来た保護者、ほかのクラスの先生にも常に公開されている。

ああ、一番忘れ物が多いのはあの子だね。一番ダメなのはあの子だね。よかった、私はあの子ほどダメじゃないわ・・。

先生という唯一の大人から与えられたルールは絶対であったし、そのルール内でのペナルティなのだから当然と、クラス全員が思っていた。だって、嫌なら忘れ物をしなければいいではないか。自分が悪い。

忘れ物をしたからといって怒られることがない代わりに、その公開処刑により個人の反省を促す仕組み。とても合理的だ。「また忘れ物ですか?ダメじゃないの!」と怒って生徒に嫌われることもない。そして私は常にいたたまれない思いで「でも私がダメだから仕方ないね」と小さくなりながら毎日を過ごした。