ぶきっちょさんの共働き入門

2021年夏より家族でアメリカ居住。異国暮らしとキャリア断絶について考える日々

【妊娠】幸多かれと願ってくれて

妊娠していたころの回想です。ブログ趣旨と少し異なりますが、ご興味のある方よければ覗いていってください。

 

息子を授かってから、無事に出産を終えるまで、思い起こせば色んなことがあった。人それぞれ妊娠ライフは異なるであろうが、私のそれは多くの方と同様、喜びにも苦難にも満ちていた。

地獄のような悪阻、切迫流産、逆子、切迫早産、前置胎盤(最後は治りました)、心拍が弱くて生死が危ぶまれたこと。

そのどれもを潜り抜けて元気に生まれてきてくれたことは、奇跡だったと思っている。かつての私は「妊娠は病気ではない」という言葉の意味を履き違え、無茶ばかりしていた。お腹の中にいた息子にも、心配をかけた主人にも、心から申し訳なく思う。もしもこの先、二人目を授かることができたとしたら。もう二度とあんな無茶はいたしませんとお腹の子に誓約書を捧げる気持ちでいる。

そして、もしもこの先仕事を続けていき、部下を持つ立場になったら。もしも部下が妊娠したならば。本人の意向を最大限にくみ取り、業務調整を含めた最大限の助力を惜しまないと心に誓っている。

 

そんな私の妊娠ライフは、産婦人科の先生の温かい言葉から始まる。

結婚してから数年、こどもを望んでいたがなかなか授からず、そろそろ妊活のステップを一段階あげようかと話し合いをしていた矢先に判明した妊娠だった。土曜日の午後だった。使用した検査薬が初めて陽性を示した。

夢だと思った。それまでに何度も何度も同じ夢を見た。

居ても立っても居られずに、土曜の夕方も営業している産婦人科を探した。自宅から1時間もかかる繁華街の近くに一件だけ営業している産婦人科を見つけ、その足で向かった。産婦人科に着いても、夢は覚めなかった。それでもまだ油断はできないとしかめつらをしていた。

「まあ、検査薬で陽性が出たならまず間違いないでしょうけど」と言いながらきちんと検査をして、妊娠の診察結果が出たとき、私はもう涙ぐんでいた。そんな私の顔をみて「予想外でしたか?」と先生がきいてきた。私の顔も見ずに。固い声色であった。

「はい、はい、もうずっと、なかなか授からなくて、その、信じられなくて・・」とつっかえつっかえ答えると、先生がばっとこちらを見て「そうですか、そうでしたか、よかった、よかった」と先ほどとは異なる優しい声をかけてくれた。その声はとても温かかった。

先生は、まだ心拍は確認できていないのでぬか喜びしないようにと釘を刺したあと、無事に妊娠継続できることを心から祈っていると言ってくれた。

そして「まだ早すぎるかもしれないけれど、早く経過を知りたいでしょう」と次回来院を早めの日程に予約してくれた。「僕も心から、次回も笑顔でいられることを願っていますよ」と真面目な顔で頷いてくれた。赤の他人なのに、大真面目にそう言ってくれたことが嬉しかった。

 

涙ぐんでしまった私の様子を見て、望まない妊娠と予想したのかもしれない。実際に、望まない妊娠をされる方が来院されることもあるだろうし、その背景が明るいものではないことも時としてあるだろう。

まだきちんと根付くかさえ分からない命であったが、先行き明るくあれと祈ってくれたことを、今でもとても感謝している。