ぶきっちょさんの共働き入門

2021年夏より家族でアメリカ居住。異国暮らしとキャリア断絶について考える日々

【キャリア】会社が好きだと言ってみたい

採用試験を受けるときには、大抵の志望者が「御社が第一志望です」と熱烈に求婚し、「我々には君が必要だ」と会社も厳選を重ねたその志望者の手をとる。そうやって愛を交し合うのに、会社に入って10年あまり、周りを見渡すと会社が好きだと言っている人は見当たらない。なんなら入社した直後から見当たらなかった。

蜜月は長くは続かず、いつの間にか倦怠期の夫婦のようになってしまう。「もう!本当にあの人ってば仕方がないんですから・・」「全く、あいつの悪い癖だよなあ」

どこの会社でもそうなのだろうか。それとも私の所属する会社だけだろうか。他所の会社では「うちの会社最高!」と思って仕事をしているのだろうか。それを口に出して言えるのだろうか。

 

仕事をしているうちに「こんなはずじゃなかった」「やっぱりあのとき一緒になるべきだったのは・・」と考えるのだろうか。実際にキャリアアップのために転職する人もたくさんいる。

結婚と同じだよなあと思う。次の運命の人(会社)と今よりもうまくやっていけるかどうかは分からないが、そうだと信じて乗り換える。

 

私はいまの会社が好きだ。会社を辞めてもいいんだよ、働かなくてもいいんだよと主人に言われて、道を提示されたからこそ分かった。私はいまの会社が好きだ。業種が好きだ。仕事が好きだ。尊敬できる人がいるというのは、貴重なことだ。

けれど誰もそんなこと言わないし、私も言わない。

 

それになにより、仕事と家族の両天秤で、これまで仕事で培った自信も木っ端みじんなのだ。

急な息子の発熱、自分のせいでキャンセルになる打ち合わせ。以前は朝も夜も仕事のことを考えていたけれど、今は朝も夜も息子のことを考えている。片付けるべきタスクは山ほどあるのに、産前の馬力に到底追いつかない。とにかくスピードに火力を振らねば。好きなだけで成果が出ていないんじゃあねえ、と思われても仕方がない。

それから、いつ命じられるか分からない自らの単身赴任。そんなに仕事が好きならどこへだって行けるだろうと言われると困るのは自分である。私は家族一緒に暮らしたい。雉も鳴かずば撃たれまい、と願って押し黙っているより他ない。

 

息子の急病に怯えることなく業務設計通りに仕事に取り組めて、いつ家族離散するかもしれぬという恐怖が去ったら、会社が好きだと職場で堂々と言ってみたい。仕事って面白いよなあと肩を叩いて笑いあってみたいと思っている。

けれどきっと、このまま会社も社会情勢も変わらなければ、私は会社を辞めるのだろう。

「人は変えられないけれど、自分は変えられる」という言葉を、私は結構気に入っていたのだけれど、こればかりは自分の力ではどうにもならない。家族を大事に思うと、キャリアの行く先には大きな壁が立ちはだかっているようで、ままならないものだとすっかり途方に暮れてしまう。