ぶきっちょさんの共働き入門

2021年夏より家族でアメリカ居住。異国暮らしとキャリア断絶について考える日々

【妊娠】悪阻は続くよどこまでも 完

「ぶきっちょさん、ちょっと休んだら・・」と言われても、私はひたすら仕事をしていた。何をしていたって体調は悪かったからだ。能率が落ちていたことは否定できようもないけれど。

 

ありとあらゆる無機質な匂いに過敏に反応していた当時。

一番困ったのは、新幹線のシートの匂い(特にN700系)である。結婚直後から産休に入るまでずっと単身赴任をしていたので、週末になると新幹線も使って4時間ほどかけて主人のもとに帰っていた。妊娠中は乗車時間が地獄だった。乗車中はずっと顔前面をタオルで覆っていたので、不審者として声をかけられなかったのは奇跡である。

 

なぜそこまでして帰っていたのか。

 

単身赴任寮にはキッチンがなくて温かいものが食べられないとか、エレベータがなくて往復がしんどいとか、色んな理由はあるにはあったけれど、何はともあれ、とにかく主人に会いたかったからである。

妊娠してから毎日幸福と不安と体調不良とで、心身ともに振れ幅が大きかったためか、自分でも信じられないほどに心細かった。なにもしてくれなくてもいいから、とにかく側にいてほしいと思った。他人に対して、いや家族であっても、そんなことを思ったのは生まれて初めてのことだったので、自分自身とても困惑した。

 

体の不調に加えて、心にまで心細さという不調が発生して、もう満身創痍だった。なにが船酔いだ、なにが二日酔いだ。人生で経験したどの「~酔い」にも到底かなわないほどの不調ではないか。自分の体がちっとも思い通りにならないではないか。

 

私の支えになったのは、産院の助産師さんたちの言葉である。ヤツの勢力がすさまじく、もはやここまで・・とこぼすと「まあ、じゃあものすごく賢い赤ちゃんね!」だとか「きっと世界一可愛い赤ちゃんよ!」だとか「もう自分の存在をアピールしたいくらいママが大好きな赤ちゃんよ!」だとか、大真面目な顔で励ましてくれた。

もちろん迷信だろうけれど、当時の私は「うっ」の度に「ま、まあ世界一賢いんじゃ仕方ねえな」だとか「ま、まあ可愛いバラには棘があるっていうしな」だとか「ふっ。そんなことしなくてももうお前の虜だぜ」だとか、おまじないのように繰り返して何とかこの難局を乗り切ったのである。

 

ようやくヤツが重い腰をあげ、あばよと通り過ぎて行ったときには「ああ、体調が悪くないって、こういう感じだったな」と懐かしく感じたほどであった。そして体調が戻ってみて「ああ、あの体調の悪さは甘えでもなんでもなかったな」とようやく素直に思えた。休むべきであった、とも。

そして残されたのは、忘れたころに自宅に届いた大量のみかんとりんご。ふるさと納税の返礼品として届いた上等の品にも関わらず、もうみかんもりんごも一生分食べてしまった私はそのままの状態では食べきれず、ジャムにしたりパイにしたりと、戻ってきた食欲をフル活用してスイーツ祭りを存分に楽しんだ。

 

そうして翌週の妊婦検診で見事に体重制限に引っ掛かり、先生から大目玉を食らってそれはそれは厳しい食事制限がはじまったのは、また別の機会に。