ぶきっちょさんの共働き入門

2021年夏より家族でアメリカ居住。異国暮らしとキャリア断絶について考える日々

【キャリア】育児"休暇"が羨ましいですか? 完

妊娠は望んでいたことだ。なかなか授からず、待って待って、ようやく授かったこどもである。もちろん、優先順位など考えるまでもなかったし、そのことに悔いも一切ない。私たち夫婦のもとにやってきてくれた息子には、今でも毎日感謝のきもちでいっぱいだ。

けれど仕事をこれからも続けられる人に、面と向かって「休めて羨ましい」と言われたことが切なかった。羨ましいのはこっちだよ、と喉元まで出かかった。妊娠・出産をせずとも自分の血のつながったこどもが持てる男性を、羨ましいと思った。

妊娠の経過は順調ではなかった。トラブルの連続だった。からだも思うように動かせなかった。悪阻は地獄だった。胎動もまだ始まらない中、お腹の中できちんと生きているかと不安だった。

出産は、とても怖かった。あんなに大きなものが、体から出てくることが怖かった。通り道を切開することが、怖かった。何時間も痛みに耐えられるのか、怖かった。ようやく授かったこどもを無事に生んであげられるのか、とても怖かった。

情けないと言われてしまうかもしれないが、そんな恐怖を体験せずとも、我が子に会える男性が、羨ましかった。

そして、妊娠・出産によりキャリアを中断する必要のないことが、羨ましかった。

 

育休は「育児休業」の略である。休暇ではない。けれど、私の周囲では頻繁に「育児休暇」という言葉が使われている。社内で共有化される業務分担表にも「〇〇さん:育児休暇入り」と記載されていた。

いま、育休から復帰して思うけれど、育休に「休暇」要素は一切ない。日中はトイレにさえゆっくり行けなかった(今でも行けない)。こどもの個性にもよると思うけれど、座って一息つく暇も殆どない人が大勢いると思う。しかしそれは外からは見えず、1年以上ものんびり休んでいたママさん、という扱いを受ける。そしてひどいときには「女性は気楽でいいよなあ」だなんて言われるのだ。全くやるせない。

「育休いいなあ」という人には、数日でよいから、代わってみてほしい。自分の時間など一切持てず、新生児期は「私のせいでこの子が死んでしまったら・・」という思いで不安に押すつぶされそうになり、あんよ期は果ての無いパワーと終わりのないイヤイヤに振り回される日々。どうか体験してみてほしい。仕事のようにやった分だけ評価されることも、お礼を言われることもない日々を。毎日が連綿と育児のみで塗りつぶされていく日々を。

 

言わずもがな、こどもと向き合える毎日が、素晴らしい日々であることも確かだ。育児で塗りつぶされた日常は、息子の笑顔や泣き顔であふれている。これまで気が付かなかった季節の移ろいや、沿線の景色の美しさに温かい気持ちになることも。息子が安定しているときには、牧歌的な生活だなあと鼻歌を歌うこともある。

けれど決して、独身時代の休暇のように「自分のしたいことをする」ことはできない。いつでも息子最優先の生活だ。彼が規則正しく、健康で文化的な最低限度の、できれば幸せだと感じてもらえる生活を送るための段取りが最優先。

 

風の噂で、あの男性スタッフにもお子さんが生まれたと聞いた。大切な人が妊娠・出産・育児をするのを側でみていたであろう彼に、もう一度聞いてみたい。 

育児"休暇"が羨ましいですか?