保育園登園後、目に涙をいっぱいに溜めて泣き叫び「置いていったら許さないぞ!」と私にひっしとしがみつく息子をなだめていると、保育士さんがやってきて、息子に明るく声をかけ、出入り口を指さした。
「あ、〇〇くん!ママがいるよ!」
ママ? 確かにママはここにいるが、今まさに職場へ旅立とうとしているところだ。
すると息子はぱっと出入り口に目を向けたかと思うと、それまで泣き叫んでいたのを忘れたかのようにするりと私の腕から降りた。向かったのは、出入り口でにこやかに微笑む保育士さんである。いつもにこにこ笑っているおばあちゃん先生だ。おっとりしているようなのに、ダンスのキレが素晴らしい人で、あわてんぼうのサンタクロースを踊っていたときなど、まさにあわてんぼうのサンタクロースそのものであった。
おばあちゃん先生に抱き上げられた息子はまだ涙目をしていたが、もう泣き叫んではいなかった。そして私をしっかりと見つめて、バイバイ、と手を振った。
がーん!いう効果音が脳内に響いた。離れがたくなったのは私の方である。
いまや平日は、私よりも保育士さんと過ごす時間の方が長い。私はまだ「かあちゃん」と呼ばれたことがないのに、おばあちゃん先生のことは「ママ」と呼んでいるのであろうか。本来ならば息子の成長を喜ぶべきところ。保育士さんに感謝するべきところである。分かってはいるが、まだ息子離れなど到底出来ていないかあちゃんは、あまりに早い親離れに愕然としてしまった。
ショックを受けて、その場で呆けていた私に、おばあちゃん先生は笑いながら言った。
「強がってるだけよぉ!〇〇くんはおかあさんがいるといい笑顔だもんねぇ。あんないいお顔、保育園にいるときはまだしてくれませんよぉ。ちゃーんと信頼関係を築いている証拠だねえ!!やだやだ、妬けちゃうねぇ!!」
ベテラン先生には、何もかもお見通しである。
この言葉をきいて、私まで「ママ!!」と縋りつきたくなってしまった。
息子はまだ、保育園に送っていくと泣いてしまう。行くなとしがみついてくる。
けれど親子だけで過ごしていた時よりも、着実に息子は成長している。それはもうすごいスピードで出来ることが増えている(スプーンでごはんを自分ですくったり、お食事エプロンを器用に外したり)。体の使い方もうまくなった(その場でくるくる回転したり、でんぐり返ししそうになったり)。意味のある言葉はまだ多く話さないけれど、とてもお喋りになった(宇宙語だけど)。
そして私と主人以外に、心を許せるようになったのだ。祖父母が遠方で、親族も誰一人近くにいない彼にとって、両親以外で喜んで抱っこされる人は保育士さんだけだ。
私たち両親が仕事をしている間、彼が信頼できる人がそばにいてくれることは、どれだけ心強いことだろう。丁寧に接してくださっているのだ。本当に本当に、有難いことだ。
仕事に向かう私に、おばあちゃん先生は「〇〇くん、私をママなんて言ってないから安心してね」と耳打ちしてくれた。どこまでもお見通しである。
親子そろって手間のかかること。
どうぞ息子ともども、今後とも何卒宜しくお願い申し上げます。