ぶきっちょさんの共働き入門

2021年夏より家族でアメリカ居住。異国暮らしとキャリア断絶について考える日々

【育児】仇は必ずとってやる

「ううっ!」と言って息子が指さしたのは、我が家に届いた年賀状を束ねていた輪ゴムだった。役目を終えて少し伸びたその輪ゴムはすでに老齢といった風情だったので、息子の相手は荷が重かろうと思ったのだが、息子は「いいからよこせ」と譲らない。

まあ傍で監督していれば危険もそうなかろうと判断して輪ゴムを与えると、嬉しそうにペコリとお辞儀をして「あーいー!(ありがとうと言いたい)」とお礼を言われた。

受け取った輪ゴムをしげしげと矯めつ眇めつ眺めた後、何を思いついたのか、息子は両手に輪ゴムを持ってびよーんと引っ張った。「あっ・・」と思っているうちに、息子の小さな肩幅いっぱいまで引っ張ったところで輪ゴムは弾け、ぷちんっと小さな音を立てて切れてしまった。すでに老齢だったのであまり張りがなく、はじけ飛んだときの音も可愛いものであった。

切れたときに息子の手にも当たったかもしれないが、ダメージも少なかっただろう。息子は泣きもせず、輪ゴムを伸ばしきった体勢で茫然としていた。大きく前に習え、をしているようだった。なんと可愛い体制であろうかと鼻の下を伸ばしながらスマホのカメラを構えたところで、さも「たった今事態の深刻さに思い至りました」とばかりに息子が泣き出した。

その勢いは今年一番であった。慌ててスマホをしまったが、その間にも息子の勢いは増していき、抱き上げたときには顔を真っ赤にして火がついたように泣いていた。

いけないいけない・・取り乱しているうちに、必殺「いたいのいたいのとんでゆけ ※」の呪文を放つタイミングを逃してしまった。しかし、おろおろしている時間なぞない。ここぞ腕の見せ所である。

 

「な、なんと・・!〇〇よ、一体誰にやられたのだ!?・・はっ!お前か、お前だな輪ゴムめがぁぁーーーーっ!!」

この時、最も重要なのは勢いである。大根役者上等だ。とにかく勢いで息子の関心を引き付けるのが私に課せられた使命である。

床に落ちていた可哀想な輪ゴムの成れの果てをつまみあげ、怒号を浴びせる。

「お前だなっ、私の可愛い可愛い〇〇に!よくもよくもぉ~~っ」と言いながら左手の手のひらに乗せた輪ゴムを、右手の人差し指でうりうりとこね回す。息子もうんうんと頷きながら加勢してくれる。こうなればもうこちらのものだ。息子はすっかり泣き止んでいる。

私が輪ゴムをこねまわすのを見るのに飽きると、さっさとバスのおもちゃで遊びに行ってしまった。息子の仇は十分に取れたようである。

 

彼がもう少し大きくなって、お友達とケンカして泣きながら帰ってきた折にはこうはいかない。子供同士の解決こそが勉強、と見守るのか。保護者間での話し合いが必要になるのか。息子の話に耳を傾けつつも、その場に応じて周囲の大人と連携をとっていくことになるのだろう。

まさか押っ取り刀で「お前か!〇〇を泣かしたのは!」と相手方に怒鳴りこんで仇をとってやるわけにはいくまい。

小さな息子が輪ゴムだの、ソファの脚だの、トイレの扉だのに打ち負かされている今しかできないやり取り。息子は毎度「ひどい目にあった」と言わんばかり(緩衝材もあるので大きな怪我はありません。ご安心くださいませ・・)だが、私はひそかに気に入っている。

 

※我が家の「いたいのいたいのとんでゆけ」事情につき、過去記事を貼っておきます。

 ご興味のある方いらしたら覗いて行ってくださいませ。

 

kinmokuseisan.hatenablog.com