ぶきっちょさんの共働き入門

2021年夏より家族でアメリカ居住。異国暮らしとキャリア断絶について考える日々

【妊娠】若いんだから席を立て 2/2 完

 

私が席を立たされたことで、世の中は少し良くなったのだろうか。

その後も続く二人の賑やかな会話は続いていた。いかに最近の若者が努力や忍耐を知らないかという話だったと思う。車内のすべての人から白い目で見られているような、居たたまれない気持ちでいっぱいだった。

電車は動き出し、私は貧血のせいか冷たくなった両手で、吊革にぶら下がるようにつかまった。ひどい悪阻で吐き気は増すばかりだったけれど、着物に直撃させるかもしれないという未来予知が何とか私を踏みとどまらせた。

 

踏んだり蹴ったり、泣きっ面に蜂、弱り目に祟り目。それから、それから・・と吐き気をごまかしながら考えているうちに、女性の降車駅についた。女性は立ち上がり、私を立たせた男性に深々とお辞儀をして、丁寧なお礼を言ってから降車していった。一度も私の方を見ることはなかった。

同じ駅で若い男性が乗り込んできて、滑り込むように女性の座っていた席に座った。その後、先ほどの女性と同じくらいの年齢の乗客が数人乗車してきたけれど、老齢の男性は、優先席に座っている若い男性には何も声をかけなかった。私が降車するまでずっと、黙って週刊誌を取り出して読んでいた。

私は最初から最後まで、ひとことも言葉を発することができなかった。

「すみません」も「どうぞ」も「実は体調が悪くて」も。

もしもあの男性が「ほら、席を譲りなさい」と一言声をかけただけであれば、「すみません」と謝ってすんなり席を譲っただろう。もしくは「どうしても体調が悪くて」と必死に謝罪をしたかもしれない。

 

済んだことだ。けれど体調の悪いときに一方的に糾弾されたという恐ろしい記憶だけが居座ってしまった。よくある話だと思う。その男性は正義感に溢れた人だったのだろう。彼の世直しの基準は、年配の方にとっては当然のものなのかもしれない。着物の女性にとっては、きっとヒーローであっただろう。席を譲らず優先席に座っていた私の行動に、思うところのある方もいらっしゃるだろう。

 

私はこの出来事以降、優先席に座ったことがない。どんなに体調が悪くても、心まで攻撃されるのはもう懲り懲りだった。思いやりある男性の行動は、当時の私にとっては攻撃そのものだった。

 

私にとっては「妊娠」という限られた期間で起きた話だ。けれど例えばヘルプマークを必要とするような、人からは分からない不調を抱えた人たちは、ずっとこんな風に周囲から理解をされないまま生活をしていくのだろうか。例えば連日の夜泣きで疲れ果てた両親や、受験勉強で極限まで追い込まれた受験生も、見た目には元気な若者に見えるかもしれない。

 

良いと思ったことを、照れずに恐れずに実行できることは素敵だ。信念があることは素晴らしい。

けれど、事情を知らない他人を巻き込むときにはせめて、自分には分からない事情があるかもと一拍考えるようにしている。自分の思いやりや正義が、誰かを傷つけ攻撃してしまうかもしれないと、身をもって思い知ったからである。