ぶきっちょさんの共働き入門

2021年夏より家族でアメリカ居住。異国暮らしとキャリア断絶について考える日々

【今週のお題】この「身」を喜んで君に捧げる

最近ぐっとたくさん食べるようになった息子は、今朝も美味しそうに食パンをかじっている。「んっまあー!」といっておかわりを要求する小さな両手は、食パンよりもおいしそうなクリームパンだ。差し出されると「好きなだけお食べ」と言いたくなってしまう。

平日の朝は怒涛の慌ただしさなので、我が家の朝食は簡単なものが多い。ヨーグルトやバナナ、おにぎりや卵を焼いただけのものなど。いまの一番のおきにいりは食パンだ。しかも固い耳の部分は食べたがらず、内側のふわふわした部分だけを要求する。いろいろ試してみたのだが、息子は結構なグルメであるようで、市販品では8枚切りの赤いパッケージのもの(日本人の大好きな炊き立てのごはんのような食パン、が売り込み文句)しか食べない。

毎朝、自分の分と息子の分とで計2枚をトーストする。焼き方にもこだわりがあり、ごくうっすら焼き目がつくかどうか、表面がカリッとし始めたかどうか(=ほぼ生焼け)くらいで取り出すのがポイントだ。私としてはこんがりきつね色までトーストしたいのだが、もともと食の細かった息子の好みに合わせているうちに、すっかり「ほぼ生焼け」党になってしまった。

焼きあがった食パンを1枚ずつお皿にとりわけ、息子のパンからは耳の部分を外してやる。「ただきやーっす!」と元気に食べ始める息子を横目に、ほぼ生焼けの耳をかじる。そのうちに「もっとよこせ」と催促されるので、手をつけずにとっておいたもう1枚から耳を外してやる。

正直に言わせてもらうと、私は食パンに関して、圧倒的に「耳じゃないところ」が好きである。こどもの頃から一途に好きである。

今はさすがにやらないが、こどもの頃はトーストの耳部分をぐるっと食べた後に、満を持しておいしい「耳じゃないところ」に取り掛かっていた。サンドイッチ用食パンよろしく、二つ折りにしてジャムを塗って食べるのも好きだった。(ちなみにこの「耳じゃないところ」の正式名称は「内相」、俗称は「身」というらしい)

 

ここ最近、食パンを「耳じゃないところ」含めて丸ごと食べた記憶がないが、息子が嬉しそうに食べているので「耳じゃないところ」を食べられていた時よりもずっとずっと幸せだ。不思議なことに。

自分が美味しい思いをするよりも、息子が美味しい思いをする方が幸せだ、と思えていることに気が付いたとき「ああ、大人になったのだなあ」としみじみ思った。息子のおかげで、ちょっと大人になれたのではないか、と。

きっと息子はすぐに大きくなってしまって、トーストを丸ごと1枚食べるようになるのだろう。バターやジャムなんかも塗り始めるのだろう。こんなふうに私から「耳じゃないところ」を奪って幸せそうにしているのも今だけなのだろう。

「ほぼ生焼け」党の党員として、必要とされている間は党首を盛り上げていこう心に決めているのであった。

 

今週のお題「大人になったなと感じるとき」