ひどい悪阻で大抵の食べ物がうけつけず、それでも何かは食べねば、と会社の昼休みにデスクでみかんをかじっていたときのことだ。
二つ隣の席から、ふんわり(心情的には「プーンと」でした。すみません)とニンニクの香りが漂ってきた。同じ職場の男性が持参した、お弁当の匂いである。「うっ」とは思ったが、私が当時もっとも苦手だった匂いは無機物(キングジムとかコピー機とか)の匂いだったので、なんとか素知らぬ顔を貫いた。追加でみかんをむいて、柑橘系の匂いで対抗である。
香ばしい匂いにひかれてやってきたのか、何人かの男性社員が集まって会話をしているのが耳に入る。いわく、弁当持参の男性社員の奥様が妊娠して悪阻がひどく、家事ができないので自分で餃子を作った。せっかくなので手のかかるものを、とメニューに餃子をチョイスしたらしいのだが、奥様は匂いがきつくて一つも食べられず、大量に余った分を弁当として持参したとのこと。家の冷蔵庫にもまだまだあるそうだ。「せっかく作ってあげたのに食べてくれませんでした」「そりゃ災難だったね、餃子も食べ続けるのはしんどいよな」「でも形がきれいだ。上手いもんだね」「そうでしょう、意外と料理のセンスあるんですよ」・・・などなど。
口調は誇らしげであったが、語っているその内容は、まさに悪阻真っただ中の私には突っ込みどころ満載なのであった。
悪阻がきついという妻がいるのに、ニンニク餃子をチョイスしてしまう破天荒。
「メニューの選択が悪くて」ではなく「災難」という感想を持たれてしまう型破り。
災難なのは、悪阻で動けない間に夫がニンニクたっぷりの餃子を家のキッチンで作り、しかもそれを「せっかく・・」などと職場で吹聴されている奥様なのではなかろうか、と同情を禁じえなかった。どんな間取りか知らないけれど、作っているときは多少なりと部屋の中がニンニクの香りで満たされていただろう。
当時の私だったら、それだけで瀕死の重傷である。
私が驚いたのは、自慢げに餃子を作ったことを語る男性が、普段愛妻家で通っていたことだ。よく休み時間に奥様の話をしていた。妊娠についても大層喜んで、率先して妻のサポートをしているという触れ込みであった。
その後も、その男性が率先してつくったという料理は「香辛料たっぷりのチキンステーキ」や「ニンニクたっぷりシュウマイ」などが続いた。もし悪阻で家事ができない状態が続いていたとするならば、奥様の御心労いかばかりであろうか、と思わず想像してしまう。
もちろん、夫婦それぞれのかたちがあるし、餃子案件を奥様は好ましく思っていたのかもしれないので外部から口出しはしなかったけれど。
気配りや、相手の立場に立って物事を考えることは、愛情だけでは出来ないのだなと痛感した。「よかれと思って」やったことが的を外した時の被害の大きさを考えると、大変そうなときこそ、先走らずに相手の要望を引き出すことべきなのかもしれないと、考えさせられた出来事であった。