ぶきっちょさんの共働き入門

2021年夏より家族でアメリカ居住。異国暮らしとキャリア断絶について考える日々

【キャリア】「女の子」でも「おかあさん」でもなく同僚として扱ってほしいと思うこと①

「女の子に頼まれたら、嫌とは言えないなぁ~!」

にこやかに書類を受け取りながら、その人はそう言った。隣の部署で管理職をしていた男性である。上司ではないが役職持ちの目上の人だったので、私もにこやかに頭を下げた。内心はどうあれ。

 

私の要件は一言でいうと「そちらの部署管轄で手違いがあって大変だったので、以降は何卒宜しくお願い致します。詳細はこれに」である。もちろん丁寧に説明をし、謝罪を求めるわけでなく、発生した事実を述べるに留めた。起こるべくして起こった人的ミスだった。

それに対する回答が、冒頭の台詞である。私が女の子でなければ、この依頼は聞いてもらえなかったのだろうか。否、女の子でなければきっと「頼み」ではなく「業務上の苦情」と処理してもらえただろう。「女の若造がうるさいな」とあしらう人でなくてよかったとも言える。

関係先との仲は、社内外問わず良好であるに越したことはない場合が多いと思う。もちろん馴れ合いはいけないけれど、情報のやり取りのハードルが低くなると、得た情報から、業務の先読みができることも多い。「ちょっといいかな?」で済む話が「きちんと経緯含めて説明する場をセッティングしろ」となるかならないか、信頼関係によるところが大きいこともある。

技術が進歩し、テレワークが進み、色んな仕事を機械に任せられるようになったけれど、私のまわりではまだまだ「人」でまわす仕事が多いのだから。

 

だからこんなことくらいで、もやっともしていられないのだ。

例え、正当な要求を、正当な手順を踏んで依頼したにも関わらず「女の子」を持ち出して、まるで恩を着せるような言い方をされたとしても。

 

私はもう10年近くも会社で「女の子」をやっていた。「女性」ではなく「女の子」。気にしないさ、と思う一方で、私はいつまで「女の子」なのだろうとやるせなくなった。

男性陣と同じ仕事、同じ給料、同じ立ち位置で仕事をしているのに、時折思い出したかのように「女の子」であることを引き合いに出される。

 

そして、育休から復帰した今、私は職場で「おかあさん」と呼ばれるのだ。

「さすがおかあさん」と。