ぶきっちょさんの共働き入門

2021年夏より家族でアメリカ居住。異国暮らしとキャリア断絶について考える日々

【育児】拍手喝采、上機嫌。

日々心の底から保育士さんに感謝をささげている私であるが、本日もまた「ほう」と感心のため息がこぼれる場面に遭遇した。我が息子の通う園の保育士さんは、熱烈に褒め上手なのである。

 

朝、息子を保育園に送り届け、タオルやエプロンを所定の場所にセットしていた時の事。ぱちぱちぱち!と大きな拍手の音が響いた。

同じ園に通うクラスメイトの男の子が、コップのおもちゃを2つ同時に転がしたようだった。目新しいおもちゃでもなく、特別な遊び方であるわけでもないだろうに、保育士さんが3人で一斉に拍手を送っているのである。

「わあー!〇〇くん、上手だねえーー!!両手で一緒にぱっと転がせたねえ!」

「昨日はできなかったねえ!」

なるほど「両手を同時にはなす」、その動作ひとつ取って熱烈に褒めているのだった。

1人でする拍手とは違って、3人で同時に送る拍手は華やかだ。大人の私が隣できいていても「絶賛」という雰囲気が伝わってくる。朝の保育園、おかあさんと離れて寂しいのか、それまで無表情だったその男の子も、にやりと笑っていた。それはもう得意げに。

息子はまだ、同年代のクラスメイトに興味関心がないけれど、この時ばかりはニコニコと拍手を送っていた。そばにいた別の子たちも続き、拍手が連鎖していく。

気づけば部屋にいるみんなが拍手をしていた。私も含めて。自分が褒められたわけでもあるまいに、ぽかぽか温かい気持ちになる。

 

褒めるということは、言葉を尽くすことだけではないのだなあと思った。具体的に褒める、抽象的に褒める、すぐに褒める、などは聞いたことがあったのだけれど、こんなふうに周囲を巻き込んで全体を「褒める」雰囲気にすることが出来るのか。脱帽である。

 

帰宅して主人に事の顛末を話したところ、我が家でも拍手喝采制が導入されることとなった。自宅でも積極的に、両親で喝采を浴びせて褒めようではないか、という。きっとニヤリと笑って得意げになるに違いない。

褒めることは難しい。特に私が仕事に復帰して忙しい日常が連綿と続く中では、息子の成長をついついあっさり流してしまいがちだ。だから心構えとしては、少しくらい大仰でも分かりやすく褒めてよいではないか、ということらしい。その経験が将来、彼の自己肯定感をはぐくむ一助になればいいなあと思う。

とはいえ、それが普通になってしまってもつまらない。いつもの「すごいね」との住み分け、線引きをどうするかは至急検討すべき課題であろう。

 

新制度を導入した両親が、喝采のタイミングを待ちわびてうずうずしているとは露知らず、今日も息子はマイペースに部屋を走り回っている。