米をざっと研いで、味噌汁の具材をざくざく切る。副菜は作り置きが冷凍庫にはいっている。ありがとう、週末の私。
朝いちばんの水道は冷たい。「ちったぁ!(「冷たい」)」と息子の口調を真似ながら、使い終わった包丁をさっと洗う。あー冷たい。でも目が覚めて結構なことだと自分を納得させる。のんびりとトイレにこもっている主人を羨ましく思いながらドアをじとりと睨みつけてしまうのも、しょうがないと思う。
寝室からは息子がグズグズ言いながら起きだす気配がしている。息子が起きだすまでが勝負である。毎朝が戦争だ。きっと今頃、たくさんのおかあさん(と、おとうさん)たちが戦争をしているのだろう。
「私ばかり家事の負担が重いよなァ」と思うときは大抵、「絶対にやらねばならない家事」をしているときだ。私は家事そのものにかかる時間よりも、緊急度の高さで負荷を感じる。
食事の準備、ゴミ捨て、保育園の準備や送迎。やらないと自分及び家族の生活に支障がでる家事は、乗り気でなくともやる気がなくとも、誰かがやらなければならない。そして我が家ではこれら緊急度の高い家事は、ほぼすべて私が担っている。「自分ばっかり」と思うのは、大抵そんなときだ。
でも冷静に考えてみると、家電の配線をきれいに引き直したり、布団に乾燥機をかけたり、乾燥まで終えた洗濯物をしまったりといった家事は、主人がやってくれることも多い。
絶対やらないといけない、というよりは「やると便利」「やると快適」な家事たち。
主人のすきなタイミングで、疲れてたらまあ最悪やらなくてもいい、そんな家事たち。
家事の負荷を語るときには、時間や労力だけでなく、その緊急度や制約、忘れたときダメージ含めたプレッシャーで評価するべきだと思う。同じ15分でも、「1日のうちのいつか余裕があるときにやる15分」と「就業時間に間に合うように済ませねばならない朝の15分」を同じ負荷とはいえないからだ。横軸を時間とするなら、縦軸が緊急度。面積が大きくなればなるほどしんどく感じる。
だから家事分担で揉め事になったご家庭では、時間という観点意外に、緊急度という切り口で家事分担をしてみることをおすすめしたい。トータル1時間の不急家事を分担してもらうより、10分の至急家事を分担してもらう方が、負荷が落ちたように感じることがある。
ちなみに我が家ではボーナス得点として「熱烈なありがとう」制度を採用している。家事時間でも緊急度でもなく、心から大きな声で「ありがとうございまーーす!!」と言ってもらえる制度だ。家事に疲れたときに要請するのだが、まあ嬉しいので、広がった面積もきゅっと小さくなる気がする。