ぶきっちょさんの共働き入門

2021年夏より家族でアメリカ居住。異国暮らしとキャリア断絶について考える日々

【夫婦のかたち】ただの自分に戻る夜

「これ、『しまじろう』というよりは『くまじろう』じゃない?」

「そっちこそ、『ドラえもん』はあんなにムキムキマッチョじゃないと思う」

 

夜な夜な30代の成人ふたりが、おえかきボード(磁石と鉄粉で描いたり消したり何度もできるタイプのもの)にキャラクターを描きつけてあーだこーだと言い合っている。描いては消し、描いては消し、でも消すたびに相手の描いた力作を写真に撮るのは忘れずに。あとで自分の作品と優劣を評価するためだ。深夜のお絵描き対決は熾烈を極めていた。

 

朝、息子が起きだしたときにおえかきボードに好きなキャラクターが描いてあったら喜ぶだろうと、せっせと「しまじろう」を描きつけていたら、後ろから覗き込んだ主人がぶはっと噴出した。まあ確かに、私の描いた「自称しまじろう」は眉毛ゴン太、口元には泥棒のような線があり、つぶらな目が相まっておじさんの熊のようであった。でもなんとなく憎めないテイストで、味があっていいではないか。困っていたら手を貸してくれる、親切そうなおじさんくまじろうである。

手本を見せてやるとばかりに奪い取ったペンで、主人が描いたドラえもんもなかなかのシロモノであった。顔はそれなりにドラえもんの風情だが、肩幅が異様に広くてがっしりしている。さらに鉄粉を利用した線は微妙なかすれ具合で、意図せず筋肉のムキムキ感を表現してしまっている。顔がそれなりにドラえもんであるためにからだの歪さが際立ち、ドラえもんボディビルダーになったようだった。

 

結局のところ、二人とも全くもって絵心がないのだ。互いに相手の絵を笑ってはいるが、自分のもひどいものである。そのことがおかしくて、二人してお腹を抱えて笑った。

 

主人に行ったら鼻白むかもしれないけれど、この人と結婚してよかったと思うのはこういうときだ。

大学を出て社会人になり、結婚してこどもができ、親になった。社会人として、親として、求められることもやらなければいけないことも多くなった。けれど息子が寝静まって、主人とこうしてばかなやり取りに興じているときは、何者でもないただの自分に戻ったような気がする。

 

締めくくりとして描いた「くまじろう」は、息子に発見されて即刻ぬりつぶされてしまった。けれど案外気に入ったのか「もう一度描け」と差し出されるおえかきボードを、任せておけと受け取った。今日も一日、かあちゃん頑張ります。