ぶきっちょさんの共働き入門

2021年夏より家族でアメリカ居住。異国暮らしとキャリア断絶について考える日々

【育児】モニタ越しの発表会

くるまのおもちゃを床に一列に並べ、私が掲げるスマートフォンをちらりと見る。スマートフォン越しに「わあ~すごいわね~」という声を聞き取ったら、次は新幹線もおもちゃを連結させて並べる。「器用になんでもやるわね~」という声を聞き取ったら、次はパズルを手に取る。行動するたびに「ちゃんと見てるか?」と画面をちらりと見ることは忘れない。

もう小一時間ほど、スマートフォン越しに手を振る彼の祖母(私の母)に向かって、自分の出来ることを披露している。パズルが済んだら絵本(写真がたくさんのっている図鑑)を読みながら「うんうん」と頷いていて、いっちょまえに調べものをしている風情だ。

立派な孫バカである私の母は、息子がなにをしても大げさに褒めるので、披露する側もさぞ気持ちがいいことだろう。こういうときに、祖父母が近くに住んでいるといいのだろうなあと羨ましく思う。

 

このご時世なので、息子はもう1年以上も祖母に会っていない。可愛い時期が終わってしまうと悲嘆に暮れていたので始めたのが、このモニタ越しの発表会なのであった。私の役目は、息子が常に映るようにスマートフォンを掲げておくことだけ。

演目決定、準備、披露、後片付けまですべて息子が率先してやってくれるので、母はのんびり眺めているだけ。モニタ越しの観客も優秀で、時に褒めたたえ、時に感嘆のため息をこぼし、高確率かつ頻繁に「この子は世界一賢いに違いないわね・・」とつぶやくので、母のお役目はゼロである。

 

自分が保育園に通っていたころに休日の母を捕まえて、新しくできるようになったことを披露した時には、こんな対応はしていなかった、間違いなく。どちらかというと塩対応で、なんでも「できて当たり前」と言われ、しょげかえっていたことを覚えている。

だから息子が生まれてからの母の変わりっぷりには驚かされることばかりだ。こどもをこどもとして扱わない人だったのに、今や2オクターブくらい高い声で息子に賛辞を送っている。人はここまで変わるものなのだ。息子は偉大である。

 

「もっと頑張れ」ではなく、ただただ今の自分をすごいねと褒めてもらえること。その機会を設けてやることを、大切にしていきたいと思っている。

大きくなるにつれて期待されることも増えていくのだろう。

きっと私も知らず知らずのうちに「もっともっと」と思ってしまうのだろう。

 

それでも息子が褒めてほしそうに「できたよ!」となにかを披露してくれたらば、掛け値なしに「素晴らしい」と褒めてやりたい。