ぶきっちょさんの共働き入門

2021年夏より家族でアメリカ居住。異国暮らしとキャリア断絶について考える日々

【アメリカ生活】ごはんを毎日つくるということ

ごはんは毎日つくるもの。

もちろん毎日ちがう献立を、できれば品数多く、なるべく彩も豊かに。

きちんときちんと。

いつの間にか自分自身にかけていた「毎日ごはん」の呪い。その呪いから解放されて、ちょっぴり肩の荷がおりた出来事。

 

 

アメリカに住み1年と少し。定期的に会う友達も増えた。その仲間内での日常会話で頻繁に登場する質問に「今日、あなたは料理をする予定?」がある。とくに疑問も持たずに「料理するよ~」と答えていた私だったけれど、ある日いぶかしげに聞かれた。

 

「あなたはいつも料理をしているようだけど・・

 週にいったい何回料理をしているの?」

「どういう意味?

 ・・料理は毎日しているよ。ごはんは毎日食べるでしょ?」

「なんてこった!毎日料理をするなんてクレイジーね!」

 

聞けば、週に数度は旦那さんが料理をするからする必要がないだとか、「煮込み料理をドーンと鍋一杯!」「オーブン料理をドーンと皿一杯!」に大量につくって数日かけて食べきるだとか、週に一度は友人の家で食べる(お互いに行き来しあう)だとかで、料理の負荷は最小限にしているのだとか。あの手この手である。

私が毎日家族みんなの食事を日に三度用意していると聞いた友人たちはこぞってアドバイスをしてくれた。「肉も野菜も一緒に調理してしまえば、一品でも必要な栄養はとれるのよ」「料理は保存容器に入れて冷凍しておくと腐らないのよ」「スープはたくさんつくって冷蔵庫に入れておけば数日大丈夫」「カップラーメンって知ってる?」などなど。

 

彼女たちにとって、料理をすることは立派な「予定」なのだ。毎日当たり前にするべきことではなく、効率化するべき、大変で、立派な「仕事」なのである。外での仕事を持っている、持っていないに関わらず、だ。

日本で共働きをしていたころは週末にまとめて作り置きをしていたし、何日か同じ献立を食べることに罪悪感もなかった。しかし、夫の海外赴任を機にアメリカに帯同し専業主婦となった今、料理はいつの間にか「毎日きちんと」しなければならない義務になっていた。誰に言われるでもなく。

 

毎日ちがう献立を、できれば品数多く、なるべく彩も豊かに・・だなんて、夫も息子も、ちっとも気にしないに違いないのに。そりゃそうだ、カレーしかり炒め物しかり、茶色い一品料理はいつだってテンションがあがるし美味いのだ。

家族がお腹いっぱい食べられて、健康でいられること。にこにこと食卓を囲めること。

「ごはん」はそれで充分なのかもしれない。

 

料理が陣取っていた生活の余白。その分で友達と会ったり、息子と粘土で大作をつくったり、面白い映画を見つけたり。

するとほら、減らした品数の分だけ、楽しい話題が夕食の場に増えるのだから。