ぶきっちょさんの共働き入門

2021年夏より家族でアメリカ居住。異国暮らしとキャリア断絶について考える日々

【育児】育児書を読むということ①

私の母はとてもちゃらんぽらんな人なので、子供なんて放っておけば育つと思っていて、衛生観念も栄養管理も、今思えばめちゃくちゃなものであったと思う。妊娠中もたばこは吸っていたようだし、生後間もない頃は必要だと言われる哺乳瓶の消毒だってなおざりであったらしい。

それでも私は五体満足健康優良児に育っているので文句も言えないわけだが、息子を身ごもるにあたって「自分はちゃんとしよう」と妙に責任感を感じたものだ。

 

そのように、育児の情報源として自分の母が頼りなかった(なんなら信じるのは危険であった)ので、私は出産・育児に関することは本で学んだ。

私は当時単身赴任で独身寮にひとりで暮らしていた(主人は新幹線も使って4時間の距離であった)ため、なにかあったら頼れる人が誰もおらず危険ということで、早産に備えて早めに産休を取得した。出産の経過もちっとも順調でなく肝を冷やしたが、それはまた別の話である。

これまで仕事ばかりの人生だった私は、産休という「休むのが仕事」という日々を持て余し、近くの図書館に入り浸っていた(そんな日々は妊娠トラブルにより数日で終わってしまうのだけれど)。

休むことに慣れていなかったのだ。高校を卒業してからというもの、大学は大学で授業とバイトバイトバイトで予定のない日はなかったし、就職してからは「忙殺」の一言であった。休みの日にも仕事をしているか、泥のように眠っているかどちらか(起きたら18時だったこともある)で、TODOリストがいっぱいに詰まった時間が長すぎたのだと思う。

ちなみに後から同級生と話していると、大学のキャンパス内は春になるとそれは美しい桜並木の風景であったようなのだが、私にはまったく記憶がない。キャンパスは自転車で講義室まで走り抜けることが常であったからだ。もう私が通ったキャンパスは別地に移転してしまって、見ることもできない。もっとあの街で季節を楽しめばよかったともったいなく思う。

 

毎日なにかしていなければ落ち着かず、仕事のかわりに没頭できることを探していたのだと思う。産休に入ってようやく出産準備品を一から買いそろえたので、忙しいのは忙しかったのだけれど、心配性の主人が買い物にはすべて同行してくれたので、主人が仕事にいっているその間は、時間を持て余したのであった。

そこではたと、自分が出産を控えて、生まれた後のことについて、何が起こるのか全く分からないことに気が付いた。出産そのものについては、経過にトラブルが多かったこともあって本やネットで散々勉強していたのだが、いざ生まれたその後はどうしたらよいのだろう。

分からないことは勉強しなくては、と育児書をせっせと読んでみることにした。

 

初めて読むジャンルの本だったので、とても面白く読めた。意外だったのは、どの本も読者にとても優しいということだった。育児書というと、母親たるものこうあるべきである、という趣旨の内容なのかと思っていた。しかし大抵の本は「うまくいかないことばかりだから気にするな」というポイントをまず前面に押し出していたのである。筆者は年配の人ばかりではなかったのだけど、なんだか育児に詳しいおじいちゃんおばあちゃんに、励まされているような思いがした。

 

子供のころから本が好きで、とくに小説は舐めるように読んでいた。しかしHOW TO本の類は自分の至らなさを責められるような気がしてどうにも苦手で、必要に迫られる以外ではあまり読んでこなかったのだけれど、結構いいものだな、と思えた。

味方がたくさんいるような気がした。

 

出産を終えて、いわゆる産後ハイと呼ばれる状況が少し落ち着いたころ、主人の母が見舞いに来てくれた。息子はまとめて眠ることを全くしない赤ちゃんで、1時間もあかずに起きて泣き母乳を求めたので、さすがに母親ホルモン全開の無敵スター状態であった私も少し参っていた。

 

出産前に調べていた内容を思い出して、何かいい方法はないかと思案していた私に、主人の母は優しく声をかけてくれた。

「本なんか読むもんじゃない。読まないほうがいい」

もちろん主人の母に悪気などなく、私を励まそうとしてくれたのだと分かっている。育児の先輩として教え導いてくれようとしてくれたのも分かっている。

 

だけど堪えたのだった。

自分の子供のために、考え、調べたり悩んだりして、試行錯誤することの一端を否定されたような気がして。