「かあちゃん、どうじょ」ぱらぱら
「とうちゃん、どうじょ」ぱらぱら
最近、お食事時にたまに見られる光景だ。息子からの小さなお裾分け。
かなり立派になってきたとはいえまだまだ小さな親指と人差し指。まだ煮豆より小さく見える指を私と主人の白ご飯の上ですり合わせ、ぱらぱらっとなにかを振りかける素振りをする。動作はゆっくりでかなり勿体つけており、さも「いいもの」を分け与えたぞと言わんばかり。
お礼をいうと「いいもの、みんなで食べるとおいしいねええ」とご満悦。
息子の指から提供されたその「いいもの」はなにかというと、ふりかけである。白いご飯のお供に最適なあれである。移り住んだアメリカの田舎町でようやく発見した貴重な日本食だ。おかかと海苔の風味も豊かでとても美味しい(なんなら日本で購入していたものより好き)。にぎりこぶし程度の量が素っ気ない小瓶に入っているところも日本の風情を感じさせる。一瓶600円くらいする高価なお品だが、いまや息子の大好物なので「とっておきのお楽しみ」として、ときたま食卓に登場する。
以前は、日本から持参したストック(トーマスやしまじろうやが印刷された個包装のやつ)がたくさんあったので頻繁に食べさせていたのだが、最近は残量が心もとなくなってきたのでセーブしていた。そんな折に見つけた現地調達ふりかけを、彼はたいそう気に入っているのだった。
2歳の息子は、いつのころからか美味しいもの、自分の好きな物を両親に分け与えてくれるようになった。彼はそれらを総じて「いいもの」と呼んでいるのだが、「いいものだよぉー」と太っ腹に両親に分け与えてくれるのだ。それちょうだい、などと言ったことはないつもりだけれど、彼があんまり美味しそうに食べるので、眺める我々もうっとりと物欲しそうに見えたのだろうか。
彼が「いいもの」を食べているとき、私たちもまた「いいものだなあ」と幸福な思いにひたっている。ふりかけという「ちょっといい」程度のものが、息子にかかると抱腹絶倒絶品の「かなりいいもの」に見えてくるのが不思議だ。
ただひとつ気になることがあるとすれば、息子が親指と人差し指をすり合わせてもふりかけらしきものは一粒たりとも我々の白米に落ちてこないということくらいだろうか。なにせ自分のごはんに降りかかっているふりかけを、つまんでいる素振りはないのだから当然である。
分け与えたい、でも自分の分は減らしたくない・・という葛藤の末の「エアふりかけ」。我々の白米に降りかかっているのは、ふりかけではなく息子の葛藤なのであった。
今週のお題「最近あったちょっといいこと」