ぶきっちょさんの共働き入門

2021年夏より家族でアメリカ居住。異国暮らしとキャリア断絶について考える日々

【夫婦のかたち】育児はこどものお世話、家事は大人のお世話②

ツイッターで興味深い話題があがっていたので、

我慢ならずに書いてしまった。

色んな意見があると思うけれど、家事が大変なのは、自分以外の誰かがいるからだ。

たまに勘違いして「家事は一人でも必要なことだ。二人分やるのも手間は一緒だろ」という人がいるけれど、全然賛同できない。家族が増えても金銭的に負担が倍になることはないけれど、家事の負担は倍では済まないのだ。結婚しただけで体感5倍、息子が生まれて10倍になった。

 

一人暮らしのときは好きな時に好きなものを食べればいい。将来の健康との兼ね合いはあるかもしれないけれど、市販の菓子パンだって十分だ。支度もなければ後始末もない。(ちなみに私は一人の時は大抵ピーナッツコッペパンです。不健康だとよく叱られます)

 

洗濯も、自分の着るものがなくならなければいつしたっていいわけだ。なんなら同じものを消臭スプレーして数回着たって、自分がよければ別にいい。(一人暮らし時代は、タイツがなくなったら慌てて洗濯してました。買い足しても買い足してもすぐ毛玉だらけになる)

 

掃除なんて一番やらなくていい。埃があっても気にしないという強い意志があればそれでいい。(一人暮らし時代は、机の上がよく砂塵でざらついてました。いまは主人の手前きれいにしてるので、ばれていないですが)

 

けれど、夫なり子供なりがいると、そういうわけにもいかない。

夫がいれば「食事は簡単でいいよ」といいつつ「え?野菜まったくないの?肉とかないの?」と思われてしまうだろうし、将来の健康だって心配だ(夫婦仲がよくても悪くても、配偶者の健康寿命は長いほうがいいではないか)。

子供がいればなおさら、健康の管理を一手に引き受けている身としては、きちんと作らなければというプレッシャーにさらされている。なんなら定期健診のたびに普段の食事内容を聞かれたりするのだ。気が抜ける日など殆どない。

「おかあさん野菜食べさせてますか?」「も、もちろんです!」

 

洗濯だって、自分は全然平気でも「シーツっていつ替えたっけ?」と聞かれてしまうし、主人のワイシャツの襟は専用の洗剤で洗わないと落ちない。お風呂上りに私はフェイスタオルを使うが、主人はバスタオルを使うし、洋服も数十分着ただけで洗濯物に出す。子供は保育園で大量の洗濯物をこさえてくるし、自分のすきなタイミングですきなように、とはいかない。毎日毎日、明けても暮れても洗濯物はどんどん溜まっていく。

 

掃除だって、そもそも一人のときはこんなにトイレは汚れない(立って用を足すと本当にすぐに汚れる)。洗面所だって、水浸しにはならない。

 

世の中の女性は家事に長い時間を費やしていると思う。

その中には、育児や仕事の合間に、家族の生活を快適に保とうと家事に奮闘している人がたくさんいる。これから本格的な共働きに入ろうとする我が身としては、本当に尊敬する。

 

だから家事をしてもらっている大人(男性に限らないですよね)には分かってほしいと願ってしまう。

家事という労働はそもそも「献身」の色合いが濃いものであり、自分のためにやっているわけではないことを。自分ひとりでは発生しえない仕事であることを。育児は育児でこどものためにやっているけれど、家事は一緒に住む大人のためにやっているということを。

家事は、大人のお世話をすることだ。

そして自立した一人の大人としては、お世話をしてもらったのなら対価があると嬉しい。例えば「ありがとう」とか。