ぶきっちょさんの共働き入門

2021年夏より家族でアメリカ居住。異国暮らしとキャリア断絶について考える日々

【回想】忘れ物の数だけ、黒板に正の字を書きましょう 完

「不当」だとか「理不尽」だとか、そういう言葉を知っていたならば、と思う。あの時の私はその言葉を知らなかったので、ただただ増えていく正の字を眺めていることしかできなかった。心の中が黒く塗りつぶされていった。自分を弱者だと思った。この世界はどうしようもなく、抗えないことばかりなのだと思った。

 

私はそれから、筆箱の中に入れる鉛筆を1本だけにした。鉛筆削りで削って使えばいいと思った。恐ろしかった。油断したらやられると思った。

今思えば、そうしてこうやって当時を思い出して文章にしてみれば、なんとまあ陰湿で残酷なことかと思う。教室の中は治外法権で、その中で成立したルールを制する者こそが正義だった。私は出来損ないで、ダメなやつだった。そうして四六時中、それを思い知らせた、後ろの黒板が。

 

私は昔、小学校が大嫌いだったのだけれど、その理由はいまいちよくわかっていなかった。その女の子にも別にいじめられていたわけでもなく、放課後はよく一緒に遊びに行くことがあったくらいに仲良しだった。ただ楽しかっただけだと思う。大人がつくったルールの中で、正当に誰かを糾弾し、スケープゴートにすることが。先生公認のいじめに興じることが。なにせそれがルールだったのだから。

だから気が付かなかったのだろう。それが不当な扱いであり、怒ってもよいことなのだということに。今思えば「そりゃあ学校も嫌いになるだろうね」と納得である。

 

一番怖いのは、私がツイッターでこの話を思い出すまで、その担任の先生のことを「優しくて好きな先生」と記憶していたことだと思う。子供の私には、その状況をつくった首謀者は見えていなかったのだ。

 

今の小学校ではさすがに、ここまでのことは起こっていないだろう。思い至らなかったけれど、明らかに人権侵害なのだそうだ。(ツイッターでその話題をつぶやいたところ「人権侵害で弁護士会に救済申し立てをしてもいい」レベルの話らしい)

 

ただ、万が一にも息子が同じ状況にあっていたときに、見過ごすことはしたくないと思う。実際に弁護士会に相談するかは、そのときの状況次第かとは思うが、モンスターペアレントになることを恐れて「お前が忘れ物をしなきゃいいだけよ、先生のおっしゃるように上手いことやりなさい」などと言うような親にだけはなるまいと心に決めている。