ぶきっちょさんの共働き入門

2021年夏より家族でアメリカ居住。異国暮らしとキャリア断絶について考える日々

【夫婦のかたち】妻を躾けるということ

「うちの奥さんはしっかり躾けてあるからね」

「奥さん」と「躾」というふたつの言葉が結びつかず、一瞬ぽかんとしてしまった。会社の先輩から、誇らしげに言われた一言である。

 

結婚してすぐに私の単身赴任が決まり、週末婚となった我々夫婦。ろくに一緒に暮らしたこともないまま別居となったので、当初は衝突することも少なくなかった。口論の一番の原因は、私の勤務時間と筆不精である。異動後の部署は忙しく、始発から終電までのときもあれば、会社に泊まり込んで仕事をするときもあった。その間私はちっとも連絡がつかない。出勤していることは分かるので生死の心配まではしていなかったであろうが、新婚の妻に連絡がつくのが会社の内線だけというのはあんまりなことだったろう。私も今はその態度を反省している。

 

その日、日付も変わろうかというタイミングでも連絡のつかない妻を心配して、残業中だった私の個人電話に着信が入った。主人であった。さすがに出なければまずかろうと職場を離れて電話にでた。予想通り口論(私が一方的に悪いです)になり、悄然としながら職場に戻ると、同じく残業していた先輩に声をかけられた。

時折今日のように主人と電話をするため、残業中に職場を離れることがあった。事情を察した先輩は訳知り顔で近づいてきて言った。

「旦那には早いうちにちゃんと分からせなきゃダメだよ。うちの奥さんはもう全然そんなことしてこない。まあ、うちの奥さんはしっかり躾てあるからね」

 

奥さん。躾。

どうやらその先輩は、仕事が忙しく家庭(たしかお子さんも二人いると聞いた)を顧みないことに文句を言わないよう、妻に何度も言って聞かせたらしい。それを躾と表現したのだ。

強烈な違和感だった。

自分の配偶者に対して使う言葉ではないと思った。もちろん、惚気のつもりだったかもしれない。色んな夫婦がいるだろう。家庭の形は様々だろう。 しかし家庭の外で、自分のことを躾けたと誇らしげに言われて、嬉しい人などいるのだろうか。

私は主人と、躾けたり、躾けられたりする関係を築くのは御免だ。互いに歩み寄りながら、人として尊重しあえる夫婦でありたいと思っていた。

けれど、今の私はどうだろうか。誠意を尽くして、私を心配してくれている主人を蔑ろにしていないと言えるだろうか。

猛烈に反省した瞬間である。相手を人として尊重していないという点で、私もその先輩とどっこいどっこいだ。最低の気分だった。いくら仕事を頑張っていたって、全然すごくなんかない。何が忙しいだ。そんなの主人だって同じだったのに。

それからは、愛想が悪くても短文でもいいから、必ず連絡を入れるようになった。急に筆まめになった妻に、主人は驚いただろう。

 

息子が生まれて一緒に暮らせるようになり、今では私が主人に対して「夕飯いらないなら早く連絡してって言ってるでしょ!」などと言っている。その度に、一体どの口がそんなに偉そうなことを言うのかと今でも決まりの悪い心地がする。その決まりの悪さまですべて主人には悟られているので、今も我々は躾けたり躾けられたりすることなく、一緒に暮らせている。