ぶきっちょさんの共働き入門

2021年夏より家族でアメリカ居住。異国暮らしとキャリア断絶について考える日々

【育児】謝罪ではなく称賛を君に

息子が小さな唇をかみしめて、涙を堪えている。涙はこぼれていないけれど、もう殆ど泣いていて「ふぇー」と情けない声が漏れている。それでも必死に、両手を前に突き出してぶんぶんと手のひらを振る。視線は私をきっちり見つめながら。おもちゃを見ないようにして「バイバイ」と。

それは彼なりに編み出した我慢術なのだった。

 

私と息子は、利害の全く異なる関係だ。

私は毎日決まった時間に決まった用事を片付けねばならない。身支度、保育園、仕事、また保育園、夕飯、お風呂、寝かしつけ。息子に毎日機嫌よく過ごしてもらうために、ごはんはちゃんと食べてほしいし、きちんと睡眠をとってほしい。もちろん仕事にも行かねばならない。だから私は平日、毎日毎日決まった時間に決まったルーティンをこなすべく躍起になっている(上手くいかないことの方が多いけれど)。

対して息子は、好きな時間に好きなだけ遊んでいたい。息子本人に聞いたことはないけれど、休日は日がな一日、ごはんもお昼寝もお風呂も後回しで遊んでいるので、欲求通りに過ごすとそうなるのだろう。

 

利害の対立しかない二人だ。どうやっても衝突する。

そして大抵、息子に譲歩してもらわざるを得ない。大人の都合というやつだ。

保育園に行こう、お風呂に入ろう、ごはんを食べようなどと誘っても、聞こえていないふりをするか「ちぁう(違うと言いたい)」とそっぽを向く息子を、根気強く誘う。やがて観念したように行動にうつるのだが、そのときに、冒頭の行動をみせるのだ。

おもちゃに向かってバイバイと手を振って、おもちゃを見ないように視線を逸らす。

 

これまで何度も大人の都合で、時間を区切っておもちゃをとりあげてきた。そしてそのたびに、こう声をかけてきた。

「もうおしまい!!嫌だね、遊びたいね。分かる、分かるよ。

 でも見ると遊びたくなっちゃうからね。見えないようにナイナイしちゃおうね」

涙に暮れる息子を見て、苦し紛れに言い聞かせてきた言葉だった。私自身を納得させる言葉でもあった。少なくとも、息子が理解しているとは、思っていなかった。

けれどある時から、息子は私が促すと、自ら「バイバイ」とおもちゃを片付けるようになった。自分なりに、遊びたい衝動と折り合いをつけるべく工夫した結果なのだろうと思うとたまらない気持ちになる。

「バイバイ」と手を振ったあとに、「まだ遊びたいぜ!!」と言わんばかりにギャーっと泣きついてくることもあるけれど、それでも立派なものだ。

 

人によっては、可哀想というのかもしれない。大人の都合で我慢させるなんて、可哀想、と。けれど保育園に行っても行かなくても、1歳の都合に合わせて生活できるわけではないので、程度問題だと思うことにしている。

そして、ままならない世の中で、自分なりに創意工夫して我慢を覚えた息子は、可哀想ではなく立派なのだと、私は誇らしく思う。もし私が彼の立場だったら、欲しいのは憐れみではなく称賛だと思うから。

 

今日も保育園登園の時間になり、息子は涙を堪えてバイバイとおもちゃに手を振る。

私は彼を抱きしめる。「ごめんね」ではなく「偉いね、頑張ってるね」と言いながら。