ぶきっちょさんの共働き入門

2021年夏より家族でアメリカ居住。異国暮らしとキャリア断絶について考える日々

【キャリア】尊敬するおじさんたち①

私は日本のおじさんたちを尊敬していた。

ドキュメンタリーで取り上げられるようないわゆる「格好いいおじさん」だけでなく、街中で電話片手にぺこぺこ会釈をしているおじさんや、電車のホームで傘をゴルフクラブに見立てて素振りをしているおじさんでも、である。

もしかしたら電話の相手はフランスの頑固なチーズ職人で「うちのチーズは誰にも売らん!」と言っているのを説き伏せているかもしれないし、素振りの成果が発揮されたゴルフコンペで先方が気をよくして、製品を大量に発注してくれるかもしれない。

 

ビジネスってすごい。とても遠くの世界の出来事かと思っていたけれど、隣の席のおじさんが億単位で収益を稼ぎだしたりするのだ。ぞくぞくする。

 

それはひとえに、これまで関わったおじさんたち(=上司や先輩はじめとするすべての年嵩の男性たち)のおかげである。尊敬できる人がたくさんいた。

実際のところは、若いから女性だからと侮られたり、理不尽なことを言われたりしたこともある。思い出補正がそうさせるところもあると思うけれど、振り返ってみると総じて「おじさんたちってすごい」と思うのだった。

 

ところがどっこい、そんな尊敬すべきおじさんたちなのだが、家庭・出産・育児が絡むと途端に話がかみ合わなくなってしまうのだから、心底不思議である。なにもおじさんたちの家庭内での態度のことを言っているのではない。会社で将来のキャリア設計について話をしているときなど、まるで結婚出産をすると一線を退く前提のようなことを言われてしまうのだ。彼らなりの気づかいなのだろうか。

「はいはい、その話ですね」とげんなりした態度をとられてしまうと、とても寂しい。妊娠を報告したときに、みんな悪びれずに聞いてくるのだ。

「それで、仕事は続けるのかな?」

当たり前に復帰後のキャリアプランについて相談をしようと意気込んでいたのに、そもそも辞める選択肢から提示されるとは思わず、肩透かしを食らった気分だ。

 

今まで同じ戦場で戦ってきたのに、急に戦力外通告をされたような、そんな寂しさだった。

 

※もちろん会社では男性以外も活躍しています!