ぶきっちょさんの共働き入門

2021年夏より家族でアメリカ居住。異国暮らしとキャリア断絶について考える日々

【キャリア】「よし産もう」と思える国って②

「じゃあ、どんな国だったら『よしもう一人産もう』って思える?」

 

(はじめに断っておきますが、これは夢物語です。あしからず・・)

主人も私も政治経済の専門家ではないから、実現可能性なんてわからない。けれどキャリアも子供も、自分ののぞむだけ持てる国にはどんな仕組みが備わっているだろうかと考えるのは、なかなか楽しいことなのだった。

 

現実は厳しい。

私の前には、「母子2人で単身赴任」「父1人単身赴任」「母離職(転職)」「両親離職(転職)」の道が待ち構えている。どれを選んだってしんどい現実が待っているのだ。絶対に大切なものをなにか諦めることになる。

国も行政も「子供を産んでください」「女性も働いてください、管理職にもなってください」と言っているのではなかったか。是非ともそうしたいと思っているのに、ちっとも両立できやしない。国と利害が一致しているはずなのに、不思議なことだ。

 

だから想像の中くらい、欲望に忠実でもいいではないか。

 

子供を産むことがキャリアの妨げだと感じてしまうことそのものがとても悲しい。そんなにうまく妊娠出来るかどうかは別として(息子を授かるのにもかなり時間がかかった。心拍が確認できたときはびょおびょお泣いてしまった)、授かったときに仕事に対する憂いなく『あ、出来たんで産んで戻ってきまーす』くらいの気軽さで臨めるようなサポート体制があればいいにのになあ、と思う。

もちろん、従来通りこどもと一緒に過ごしたい人はそうすればよいと思う。選択肢がほしいだけだ。女性だって子供を産んでもすぐに働く「べき」だ!と思っているわけではない。息子とべったりと過ごしたこの1年半はとても素晴らしい時間だった。

 

 子供を産むことがキャリアの妨げになるのは、ある意味で当然のことでもある。仕事を離れている時間があれば、その分成果は面積で減ってしまうのだから。そうするとやはりなるべく早期復帰できることが重要だろう。期間でいうとせいぜい3か月くらいであろうか。からだがようやく産前の状態まで近づいてくる時期。

 

こどもが小さいうちに他人に預けて働こうとしたとき、私がハードルに感じるのは「そんなに小さいうちから人に預けるだなんて可哀想」という声だった。あなどるなかれ、親になると「可哀想」ということばはボディブローのように効いてくる(とくに親類からのやつは)。実際にそう言われたことも何度もあるし、私の周囲の女性もみんな育児休業を1年取得している。別にみんながそうしているからそうせねばならない訳ではないけれど、人と違う道を歩もうと思えるほど、育児に自信もないのであった。「やっぱり0歳から預けるなんてかわいそうかしら・・?」

 

3歳児神話や1歳児神話はまだまだ残っているのだなと日々感じている。そして、それにさらされると私も不安になる。欧州の研究では「母親が見る必要はない」という報告もあるようだが、日本の社会通念はまだまだ根深い。保育園だってただでさえ足りない足りないと言われているのに、みんながみんな0歳児を預け始めたらパンクしてしまうだろうし。いまの時点で保育士さんには足を向けて寝られないほど感謝しているので、現場に「もっと頑張ってください」なんて全くもって思わない。政策として、国が旗振りして拡充してくれたらいいのにと思う。

 

だからもし0歳児をバンバン預けても問題ないくらい潤沢に保育園の受け入れ枠があって、こどもを産んですぐ預けることへの周囲の理解も十分にあるようならば、こどもを産む心理的ハードルはぐぐっと下がる。「よし、とりあえずもう一人作ろう!産もう!」と思える気がする。(もちろん育児の大変さは別問題としてあるのでしょうが)

 

「保育園に預けて働く!?いいじゃん!早いうちから保育園にいっていると自立心のある子供になるよ!」だとか「保育園なら毎日規則正しい生活を送らせてくれるから、下手にだらしないお母さんといるよりずっといいよ!大丈夫大丈夫!」だとか。

 

というわけで「よし産もう」に必要なのはまずは、【保育園受け入れ枠(しかも生後3か月くらいの赤ちゃんを)が潤沢にあること】と【保育園に生まれてすぐ子供預けることへの肯定的な風潮(なんなら「そっちの方がいいよ!」くらい言ってほしい)】である。いやはやきっと10年たっても実現なんてしないのであろう。

 

もちろん強い心と意思と自信をもってすれば、今だって別に可能な選択肢ではあるけれど、ハードルの高さを感じているのは私だけではないのではないかなあ、と思っている。