ぶきっちょさんの共働き入門

2021年夏より家族でアメリカ居住。異国暮らしとキャリア断絶について考える日々

【育児】子育て、孫育て、祖母育て③

前話を書いたのがかなり前なので、過去記事を貼らせていただきます。

 

kinmokuseisan.hatenablog.com

 

 

kinmokuseisan.hatenablog.com

 

産後、母に応援はお願いしない。もちろん里帰りもしない。

夫婦二人、二人三脚で育児を頑張っていこう。お金を払って利用できるサービスは最大利用しよう。二人で産後に向けた準備を進める過程でも、母は相変わらず「大袈裟な・・」という姿勢を崩さなかった。

 

息子が無事に生まれ、家族3人の生活が始まった。慣れない新生児育児は、他の皆と同様に、我々にとっても壮絶な体験だった。息子は1時間刻みで爆音で泣きだし、どんなに長くとも連続で2時間しっかり眠ることはなかった。新生児ばかりを扱う助産師さんをして「この子の泣き方はちょっと・・かなり激しいというか壮絶なので、おかあさんは大変ですよ。大変という認識で合ってますから、安心してくださいね・・」と言わせしめた赤ちゃんであった(慰めかもしれません。でも「そうか大変なのだな」と安心しました)。

睡眠をとる、というよりも授乳の合間に気を失うというのに近かった。ある時プツンと電源が落ちたかのように目の前が真っ暗になって、腕の中の息子の泣き声でパチッと意識が戻ることを繰り返していた。

どうやって生き延びたか、もうよく思い出せない。何を食べて、何を着ていたのだろう。はじめは母乳量が安定せずミルクも併用していたので、哺乳瓶を消毒していた記憶はある。悪露がなかなかおさまらず、切開した傷もさっぱり治らず、口内炎までできて、ずっとどこかしら「痛いなあ痛いなあ」とぼうっと思っていた記憶も。息子の短い睡眠の最中に、ちゃんと生きているか、何度も彼の口元に耳を近づけた記憶も。眠れなくてイライラ・・すらもしなかった。そのエネルギーさえ残っていなかったのだと思う。ただただ毎日、息子を死なせずに過ごせるか、息子がおかしくなってはいないかを考えていた。私は、もうすっかり参ってしまっていたのだと思う。

 

可愛い初孫が生まれてからちっとも連絡をよこさず、たまに連絡を寄越せば生きているやも死んでいるやも分からないような声で「大丈夫、息子はちゃんと生きてるよ」とだけ繰りかえす娘に、祖母となった母もようやく異変を感じ取ったらしい。

「ねえ、それじゃ全然寝てないんじゃないの?なんで?その子おかしいんじゃないの?ちゃんとお世話しているの?」と聞く言葉も、はじめは責め立てる口調だったのが、だんだんと心配する口調になり、次第に焦燥感が混じっていった。

普段であればカリカリと言い返したくなるその問いかけも、苛立つことさえなかった。何かに怒るエネルギーは残っていなかった。聞かれたことに淡々と答えた。息子はちっとも眠らないこと。体のあちこちが痛いこと。でも息子は健康そうで、体重も増えていること。

だから「大丈夫、息子はちゃんと生きてるよ」